Y染色体D1b系統

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D系統の拡散経路を示す想定図(2017)

アフリカ大陸の北東部にいた古代のある一人の男性の遺伝子に起きたYAPと呼ばれる因子を持つ系統。この系統は、Y染色体上の長腕部「DYS287 Yq11」に、約300塩基からなるAlu配列(Alu sequence)の挿入多型を余分に持つことで知られる。

Y染色体ハプログループD1b系統(Yap+) 【日本固有種】

細川茂樹

俳優・細川茂樹(Shigeki Hosokawa, 1971-   )のY染色体は、ハプログループD1b(D-M64.1)である(注1)。細川茂樹は、岐阜県大垣市の出身。
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      (細川茂樹)

須藤元気

元格闘家で作家、タレント・須藤元気(Genki Sudo, 1978-   )のY染色体は、ハプログループD1b(D-M64.1)である(注1)。須藤元気は、東京都江東区の出身。
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      (須藤元気)

DYS 393 390 19 391 385a 385b 426 388 439 389i 392 389ii
Alleles 13 24 15 10 13 15 12 12 12 13 11 30

注1)"Gen Sudo's y-dna"(Ysearch)

青山祐輔

元『インターネットマガジン』の編集者・青山祐輔(Yusuke Aoyama, 1974-   )のY染色体は、ハプログループD1b(D-M64.1)である(注1)(注2)。2005年4月に開始されたナショナル・ジオグラフィック協会の「GENOGRAPHIC PROJECT(Geno1.0)」参加者で、ハプログループD系統の結果をブログに公表した人物としては日本初(2005年9月)にあたる。青山祐輔は、愛知県名古屋市に生まれ、北海道札幌市で育ち、東京在住。『impress Watch』の編集記者、月刊誌『インターネットマガジン』編集者を経て、社内シンクタンクの研究員を務めた後、2007年に独立してフリーのライターとなる。IT系ウェブメディアをはじめ、総合誌やフリーペーパーなどで編集者、ウェブディレクターとして活躍中(注3)(注4)。
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DYS 393 390 19 391 385a 385b 426 388 439 389i 392
Alleles 13 24 17 10 9 15 11 12 13 14 11

注1)『GENOGRAPHIC PROJECTの結果』(2005.9.30)
注2)引用者注:STR値からD1b1d1(D-CTS1897)系統と推測される。表記はISOGG 2016(ver11.12)による。原文の表記では「D(D-M174)」。
注3)B.M.F.Diary『青山祐輔』(2010.1.1)
注4)All About『青山祐輔』(プロフィール)

otomo7_8

ヤフー知恵袋のトピ主・otomo7_8のY染色体は、ハプログループD1b(D-M64.1)である(注1)。


瓊瓊杵尊

瓊瓊杵尊(ニニギノミコト, Ninigi-no-mikoto, The Yamato people)のY染色体は、ハプログループD1b(D-M64.1)であると推測される(注1)(注2)(注3)。これは瓊瓊杵尊の子孫による遺伝子データに基づくものであり、瓊瓊杵尊の御陵である可愛の山陵(宮内庁所管)の学術調査が出来ないため確定的な結果ではない(注4)。また、考古学的には日本最大規模の帆立貝形古墳である男狭穂塚の被葬者が瓊瓊杵尊である可能性が高いという理由から、現在は国指定の特別史跡として宮内庁によって管理されている。ハプログループD1から分岐したハプログループD1bは、アンダマン諸島、フィリピンを経て、約3万5千年前に日本列島に到達した系統である(注5)(注6)(注7)(注8)(注9)(注10)(注11)。
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   (瓊瓊杵尊の可愛山陵・宮内庁所管)

分子生物学(Molecular biology)、人類遺伝学(Human genetics)の分野において、Y染色体の系統を遡った場合に人類共通の父系祖先とみなせる概念上の男性を「most recent common ancestor」もしくは「Y染色体アダム」と呼ぶのになぞらえて、日本固有のハプログループD1bを特徴づける一塩基多型(SNP)のうち「D-M64.1」の変異が最初に起きた男性(MRCA)のことを、巷間で概念的に「瓊瓊杵尊のY染色体」と呼ばれる場合がある。この場合、瓊瓊杵尊と神武天皇の生物学的年代は、数万年の隔たりのある父系関係の系統と定義される(注12)(注13)(注14)(注15)(注16)。

注1)The Japanese monarchy (Imperial House of Japan) is the oldest continuous hereditary monarchy in the world still in existence. It has "reigned since time immemorial." Imperial family's genealogical tree sparked the interests not only by Shinto priests, but by anthropologists/geneticists. In this article, we aim at demystifying the lineages of Japanese imperial family for encouraging the further researches in this field. "Genetic Evidence"Most scientists agree on the use of SNP on non-recombining portion of Y-chromosome, known as Y haplogroup. Majority of Japanese males had genetic markers specific to Japanese islands as well as Okinawan. "Birth rates of ruling family"Ruling family and group often dominates in social ranks, and more controversially, in reproductions. Using Y-chromosome data, Genghis Khan's offsprings may have been 16 million people, suggesting that the group of larger disributions could be much likely to be the rulers genetic make-ups. Japan is the oldest continuous hereditary monarchy in the world, and unlike briefly ending rulership of Genghis Khan's heirs, Japanese imperial family and their associates dominated Japan for more one thousand years. Thus, rough estimations of how likely imperial family belonging to each Y-haplogroups may hold equality relation with the frequencies - distributions of Y haplogroup. To this extent, it is natural to expect that there would be more than 60% probability of Japanese emperor descending from the Jomon - Ainu people of Japan.
注2)ISOGG 2014(ver9.66)による表記。原文による表記では「D2(D-M64.1)」である。
注3)『tacodayoのブログ』(2015年8月15日)
注4)"DNA of Niniginomikoto"(Ysearch)
注6)『日本人の遺伝子は特殊タイプ』(2007.10.7)に「日本の本州に住む男性の43%がYAP+を保有するハプログループDに属し、アイヌ人男性の98%もYAP+を保有するハプログループDに属している。一方、隣国の韓国人はハプログループD系統は1%(未満)しか存在しない。世界的にもチベット人や中近東の人だけがこのYAP+因子をもっているが、このハプログループD系統は、他の世界のどこにもほとんど存在しない。さらに日本のすぐ近くの朝鮮半島や中国人が南方系ハプログループO3やO2であり、古代系統のハプログループDに属する日本人と一線を隔している」とあり。
注7)『日本人の遺伝子は特殊タイプ』(2007.10.7)に「Y染色体とミトコンドリアDNA、どちらを優先するか? 韓国人が自国と日本人遺伝子を語るとき、決してY染色体にはふれずミトコンドリアDNAだけで語る。しかしそのミトコンドリアDNAではアジアでみられる起源はすべて2万年以上前のため、それより以降の新モンゴロイドの発生移動と増加には全く役に立たない。つまり東アジアではどの国も多少の差はあれどほとんど同じ構成になってしまうのである。そもそも人類のDNA分析する場合、系統分類に適さないミトコンドリアDNAは使用せず、系統分類し易い父系のY染色体の分類法を使用する。日本人のY染色体の特殊性は、先で説明したとおり、韓国人との差は一目瞭然。日本には古く中東やチベットまでたどれるD系統の遺伝子が大半を占めているが、韓国人にはD系統が皆無(1%未満)である。結論として系統分類に適したY染色体を意図的に無視し、系統分類に適さないミトコンドリアDNAの割合だけを使用すると、間違った結論に導かれる可能性があり注意が必要という事である」とあり。
注8)『日本人の遺伝子は特殊タイプ』(2007.10.7)に「皇室・日本の支配者層はハプログループD系統。日本人男性の多くがY染色体ハプログループD系統である。また、日本の君主である皇統もこのハプログループDの系統に属している可能性が高いと言われている。天皇は少なくとも5世紀から1500年以上を経て現在まで連綿と君臨しており多くの皇子が臣籍降下している。かのチンギス・ハーンは数世代のみであったが、同じY染色体を持っている父系子孫は1600万人は存在する事が判明している。つまり1500年以上前から何世代にも渡って膨大な数の皇子を臣籍降下した史実に鑑みれば、皇胤は、日本人男性の大部分を占めていると思われる。日本人は父系のY染色体にこのような特殊系を表しているということは、D系統の遺伝子を持つ縄文系の男性が有力者として支配層に就いていた事を示す可能性が高い。少なくとも逆のパターンはありえない事になる」とあり。
注9)『日本人の遺伝子は特殊タイプ』(2007.10.7)に「縄文人の特徴を色濃く残している天皇、皇族。日本の皇族の直系は(中略)比較的彫の深い濃い顔が多かった。江戸時代に日本に訪れ天皇に謁見したスコットランド人のニコラス・ノーマン・マクレオド(Nicholas Norman McLeod, 1868-1889)は、「日本の皇族は中東系である」という発言を残した。現在でも昭和天皇・皇后の血を継いでいない傍系の皇族方は、二重瞼の彫の深いお顔立ちの方々が多い。また神話時代の天皇の容姿は豊かな髭を持ち彫が深い縄文系として描かれている事が多く、正史によれば、天皇家の発祥は南九州の日向であり、後から関西にやってきたとされている。南九州は縄文系の血が濃い場所で、(中略)皇室は元々は隼人と同じ祖を持つ縄文系である」とあり。
注12)『日本書紀(神武天皇即位前紀)』によれば、瓊瓊杵尊の天孫降臨より神武天皇の東征出発までの期間を「自天祖降跡以逮于今一百七十九万二千四百七十餘歳」とあり、公式には179万2470余年とされているが、分子時計による算出では、3万3000年程度となり、実際には『日本書紀』の記す期間より短かった可能性が指摘されている。
注14)長浜浩明『日本人のルーツの謎を解く』展転社
注15)片山宏二『弥生時代渡来人と土器・青銅器』

シンペー

社会人受験生ブログ『リカルデントをかみながら』を執筆するシンペーのY染色体は、ハプログループD1b(D-M64.1)である(注1)(注2)。『リカルデントをかみながら』は、働きながら医学部を目指す社会人受験生のブログとして好評を博した。
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注1)リカルデントをかみながら『ジェノグラフィックプロジェクト』(2006.8.6)
注2)リカルデントをかみながら『ジェノグラフィックプロジェクトPart2』(2008.5.25)

堀江貴文

実業家・堀江貴文(Takafumi Horie, 1972-   )のY染色体は、ハプログループD1b(D-M64.1)である(注1)。堀江貴文の父祖は、福岡県久留米市の出身。
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      (堀江貴文)

堀江貴文との関係は明瞭ではないが、新田義貞の嫡流は、応永年間に義宗の子・貞方が捕縛され、長子の貞邦と共に鎌倉で処刑され断絶した。ただし、貞方の庶子・貞政は堀江氏と称し、この子孫は 後北条氏に仕えている。
注1)堀江貴文『六本木で働いていた元社長のアメブロ』(2009.1.16)

阿部寛

日本の俳優、モデル・阿部寛(Hiroshi Abe, 1964-   )のY染色体は、ハプログループD1b(D-M64.1)であると推定されている(注1)(注2)。
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      (阿部寛)
注1)Haplogroup DNA"Abe Hiroshi/Japanese tester, D2-M64.1"(2016.3.12)
注2)ISOGG 2017(ver12.31)による表記。原文による旧表記では「D2(D-M64.1)」である。

竹村健一・竹村真一

政治評論家・竹村健一(Kenichi Takemura, 1930-   )のY染色体は、ハプログループD1b(D-M64.1)である(注1)。
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       (竹村健一)             (竹村真一)
picture from Wikipedia
2009年8月5日東京・お台場の日本科学未来館で開催された「私たちはどこから来たのか?」というイベント(日経BP社・ナショナル・ジオグラフィック主催)で、スペンサー・ウェルズ博士によって竹村健一の長男で、文化人類学者・竹村真一(Shin-ichi Takemura, 京都造形芸術大学教授)のY染色体ハプログループは縄文系のD1b系統であるという解析結果が公表された(注2)。これに伴って、父・竹村健一のハプログループもD1b系統であることが明らかとなった。竹村健一の父祖は、兵庫県朝来市生野町黒川の出身(注3)。

注1)千葉千枝子『私たちはどこから来たのか?』(2009.8.5)
注3)『人生のレールは一本ではない -悔いのない生き方をしよう-』三浦雄一郎・竹村健一 共著、2007年、太陽企画出版、27頁より「(竹村健一の)父は、兵庫県の生野という町からずいぶん奥に入った黒川村という寒村の生まれです。長男だったけど、戸数が10軒ほどしかない村の暮らしに飽きたらず、次男に家督を譲り、自分から勘当されるようにして大阪に出てきた」

レレレのつれづれ日記の執筆者

団塊おじさんのセカンドライフ奮闘記をつづったブログ・『レレレのつれづれ日記』の執筆者のY染色体は、ハプログループD1b(D-M64.1)である(注1)(注2)。
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注1)『レレレは縄文人!』(2010.9.17)
注2)『祖先の来た道のり』(2010.10.4)

縄文系アイヌ人

アイヌ人のY染色体は、日本列島を北上し北海道に到達した縄文系のハプログループD1b*(D-M64.1*)が88%(D1b*が13/16=81.25%、D1b1aが1/6=6.25%)を占め、残りの12.5%がシベリアから樺太を経由して南下してきたニヴフ(ギリヤーク)系アイヌ人である(注1)(注2)。
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   (アイヌ人の男性)        (アイヌ人の女性)
政治的には「アイヌは北海道の先住民」と看做されることがあるが、学術的にはアイヌは先住民族には該当しない。分子生物学による遺伝子解析の結果、アイヌは日本本土の倭人である縄文人の後裔に位置することが判明しており、さらにアイヌ文化が成立したのは室町時代以降であるため、現在ではアイヌが先住民族では無いことが明らかとなっている(注3)。

注1)田島等 "Genetic Origins of the Ainu inferred from combined DNA analyses of maternal and paternal lineages" (2004)
注3)分子生物学的には、アイヌには、渡来系アイヌ(C2系統)と縄文系アイヌ(D1b系統)の二種が確認されており、縄文系アイヌは皇室と同じ先祖から枝別れした民族であることが明らかとなっている。

吉原建

デザイナー、ソフトウェアエンジニア・吉原建(Takeru Yoshihara, 1980-  )のY染色体は、ハプログループD1b*(D-M64.1*)である(注1)。吉原建は、福岡県北九州市の出身。


舜天王

琉球国舜天王朝の太祖・舜天王(Shunten-ou, しゅんてん-おう, 1166-1237)のY染色体は、ハプログループD1b(D-M64.1)であると推定されている(注1)。
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    (鎮西八郎源為朝)        (舜天王)              (尚泰王)
舜天王は、保元の乱で伊豆に流刑となった源為朝(鎮西八郎)の子で、『中山世鑑』によれば、為朝の船が嵐に遭い、沖縄本島の今帰仁に漂着し、その地の豪族・大里按司の妹と結婚し、生まれた子を「尊敦(後の舜天王)」と名付けた。尊敦は15歳で浦添按司となり、琉球の逆賊・利勇を征伐したことにより、琉球諸侯の推挙を受けて中山王となった。舜天王朝は3代目の義本王の時に一旦滅んだが、後に第一尚氏が倒れたあと新王統を開いた第二尚氏の始祖・尚円王は、『中山世譜』など正史によると舜天王統の義本王朝の七世孫であると記されている。『中山世鑑』を編纂した羽地朝秀は、摂政就任後の1673年3月の仕置書(令達及び意見を記し置きした書)で、琉球の人々の祖先は、かつて日本から渡来してきたのであり、また有形無形の名詞はよく通じるが、話し言葉が日本と相違しているのは、遠国のため交通が長い間途絶えていたからであると語り、為朝が王家の祖先だというだけでなく琉球の人々の祖先が日本からの渡来人であると述べている(注2)。

注2)真境名安興『真境名安興全集』第一巻19頁参照。元の文は「「此国人生初は、日本より為レ渡儀疑無二御座一候。然れば末世の今に、天地山川五形五倫鳥獣草木の名に至る迄皆通達せり。雖レ然言葉の余相違は遠国の上久敷融通為レ絶故也」。なお、2005年以降の分子生物学の研究で沖縄県民と九州以北の本土住民とは、同じY染色体ハプログループに属する祖先を持つことが明らかになっている。高宮広士札幌大学教授が、沖縄の島々に人間が適応できたのは縄文中期後半から後期以降である為、10世紀から12世紀頃に農耕をする人々が九州から沖縄に移住したと指摘(朝日新聞 2010年4月16日)するように、考古学などの研究も含めて南西諸島の住民の先祖は、九州南部と共通する人々を主体として構成されたものであるとされている。また『日本書紀』、『古事記』に記されているように、皇室の祖先も九州南部の宮崎県を発祥とする人々であったことが指摘されている。


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  • 最終更新:2017-05-27 10:39:26

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