Y染色体D1b1系統

アフリカ大陸の北東部にいた古代のある一人の男性の遺伝子に起きたYAPと呼ばれる因子を持つ系統。この系統は、Y染色体上の長腕部「DYS287 Yq11」に、約300塩基からなるAlu配列(Alu sequence)の挿入多型を余分に持つことで知られる。

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(左)D1b系統の分布図   (右)D系統の拡散経路を示す想定図(2017)

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Y染色体ハプログループD1b1a系統(Yap+)【日本固有種】

蛭川立

人類学者・蛭川立(Tatsu Hirukawa, 1967-  )のY染色体は、ハプログループD1b1a(D-M125)である(注1)(注2)。
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蛭川立の専門分野は、コスモロジーの人類学と意識研究の境界領域。1991年京都大学農学部農林生物学科卒業。1993年同大学大学院理学研究科動物学専攻修士課程修了。1996年東京大学大学院理学系研究科人類学専攻博士課程単位取得退学後、日本学術振興会特別研究員としてお茶の水女子大学生活科学部人間生活学科に在籍。主にこの前後に東~南アジア、中~南米などで心理人類学的調査を行う。2001年江戸川大学社会学部人間社会学科助教授。2004年明治大学情報コミュニケーション学部准教授。ベゼッハ・ヂ・メネゼス大学付属ブラジル心理生物物理学研究所、花園大学国際禅学研究所、ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジ心理学科、クイーンズランド大学人文・社会科学部歴史・哲学科科学哲学研究室で客員研究員を歴任。明治大学情報コミュニケーション学部准教授。

注1)蛭川研究室『遺伝子からみた日本列島民の系統』(2016.7.1) 本文中「…また蛭川のY染色体のハプログループはD1b1a(D-M125)で、縄文系である。低いアルコール分解能力と乾型耳垢だということもあわせて考えると、東南アジア由来の縄文人と渡来系弥生人の混血らしい。これは、日本人としては一般的なパターンである。じっさい、日本は旧石器時代から多人種社会であって、多くの日本人は混血なのである」とあり。
注2)蛭川研究室『個人のゲノム解析』(2016.9.4)

Y染色体ハプログループD1b1a2系統(Yap+)【日本固有種】

酒井崇匡

博報堂生活總合研究所研究員・酒井崇匡(Takamasa Sakai, 1982-  )のY染色体は、ハプログループD1b1a2(D-IMS-JST022457)である(注1)(注2)(注3)(注4)。
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        (酒井家の系譜)
酒井崇匡は、1982年千葉県生まれ。2005年早稲田大学政治経済学部卒、同年、博報堂入社。マーケティングプラナーとして、教育、通信、外食、自動車、エンターテインメントなど諸分野でのブランディング、商品開発、コミュニケーションプラニングに従事。2008年より博報堂教育コミュニケーション推進室に参加。2012年より現職。

注2)23andMe"DNA RELATIVES"
注4)『藩翰譜』、『寛政重修諸家譜』日本三河國(現愛知縣)酒井氏的父祖,酒井廣親是松平泰親的異母兄,則是德川家和同祖。

橘孝三郎

戦前の農本主義思想家、超国家主義者・橘孝三郎(Kozaburo Tachibana, 1893-1974)のY染色体は、ハプログループD1b1a2(D-IMS-JST022457)であると推測される(注1)。橘孝三郎は、茨城県東茨城郡常磐村(現 水戸市)の出身。評論家・立花隆(Takashi Tachibana, 本名:橘 隆志, 1940-  )は、従兄弟の息子に当たる。
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2005年、日本の評論家の立花隆は、 日本の皇室の神聖性を否定する立場から、「皇室のy染色体系統は、最も日本人にありふれたもの。立花家の先祖も系譜によれば天皇家に繋がるので、 私もたぶん同じ。希少でもなんでもない」と発言している(注2)。この発言内容が正しければ、立花隆のY染色体はハプログループD1b1a2(D-IMS-JST022457)であると推測され、彼と同一父系に属する橘孝三郎も同一のハプログループに属すると考えられる。

注1)『神武天皇のY染色体を受け継ぐ人々はゴロゴロいる』(2005.12.5)本文中に「天皇家の由来のY染色体が現在日本の集団内でそう珍しいものではないだろうという結論(※引用者注:立花隆の発言による結論)は正しい。そう考える理由は二つある。一つは、天皇家のY染色体は繁殖成功しやすいこと、もう一つが、そもそもが現在まで残っているY染色体はなんであれ、ほとんどが「集団内では主流の系統」であるということ。上記引用(※引用者注:原文中に歴代天皇の残された子供の数の調査結果の記載がありそれを指す)でも歴代の天皇たちは、子供が数人どころか、数十人ももうけるのが珍しくなかった(中略)。それだけで、同世代の「ライバルのY染色体に対して優位」である。傍流とされ、皇室を離れたY染色体を持つ人たちであっても、一般庶民と比較すれば繁殖に有利であったろう」とあり。
注2)いわゆる「立花発言」と呼ばれるもの。

神武天皇

大和民族の初代皇帝とされる神武天皇(Emperor Jinmu/Kamu-Yamato-iwarehiko-no-sumeramikoto)のY染色体は、ハプログループD1b1a2(D-IMS-JST022457)であると推定されている(注1)(注2)(注3)(注4)。
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神武天皇は、宮崎県の山岳部の出身で、後に民族を率いて、大和(現 奈良県)に移動し日本を建国したことで知られる。『日本書紀』によれば、甲寅の歳、45歳のとき日向国の地高千穂宮にあった神武天皇は、兄弟や皇子を集めて「天孫降臨以来、長大な年月を経たが、我々は未だに国土の西辺にあって、この土地は全土を統治するのには適していない。もっと東に行けば美しい土地があるという。その場所は青い山が四周にあり、天から饒速日命が天下って人々を束ね統治しているという。そこは六合(くに)の中心であり、大業を広げて、天下を治めるにふさわしい土地である。よって、その場所に行って国を建て都にしたいと思う」と宣言した。諸皇子はみなこれに賛成し東征が開始されたといわれる(注5)(注6)。

考古学的調査に基づけば、卑弥呼〜臺與の王朝が滅びた(滅ぼされた)後に、大和朝廷が成立したと考えられ、この時代は天皇系譜によれば10代後の崇神天皇(Emperor Sujin)の時代に該当する。これらのことから、(初代)神武(Emperor Jinmu)~(9代)開化天皇(Emperor Kaika)までの間は、実際には皇室は大和入りをしておらず、日向から東征して大和朝廷を確立(事実上の日本建国)したのは、実際には崇神天皇(Emperor Sujin)の時代である可能性が濃厚であると考えられている(注7)(注8)。これらの説に従えば、後世「神武天皇」として知られる始祖王~開化天皇は、日向時代の王であった可能性が高い。

注3)To the best of our knowledge, using the archaeological record and anthropological reasoning, the first people to step on the land that is now "Japan" immigrated from the south and have much in common with Okinawans and pacific islanders. They went through the slow process of transitioning from hunting-gathering as a lifestyle to more sedentary tribal setups, and were known as the Jomon people. Over time, they engaged in more agriculture and created lasting settlements, and as the population grew, a social structure based on clan allegiance tied to geographical origin grew. There were multiple confederations of clans engaged in a variety of relationships with other confederations and states in East Asia. One confederation in particular is the Yamato Kingdom. The King of Yamato (and the first Emperor of Japan) who name is Jinmu (Kamu-Yamato-iwarehiko-no-sumeramikoto/Sano/Hohodemi/Wakamikenu/Toyomikenu) is Jomon, no Ainu. Ainu is close to Jomon, but not same with Jomon. Ainu has Okhotsk DNA a little. Okinawan is the next close to Jomon. Most of Japanese are Yamato Japanese, mixed blood of Jomon and Yayoi. We can say this with DNA testing result. Today 99.5% of people are Yamato Japanese in Hokkaido. Yamato united main land of Japan in 5th century. Ainu culture began from the 13th century.
注6)中堀豊『Y性染色体多型による日本人男性分類と男性生殖戦略』(日本産婦人科誌56巻9号)
注7)HLA Laboratory"HLAとは"
注8)山本峯章『日本文明としての神道と天皇』(2016.3.22)

継体天皇

人皇第26代・継体天皇(Emperor Keitai, 450-531)のY染色体は、ハプログループD1b1a2(D-IMS-JST022457)であると推定されている(注1)(注2)(注3)(注4)(注5)(注6)(注7)(注8)。
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注1)Roots to Now"Family Tree Tracking from Fatherhood Poetic"(2006.9.3)
注2)This group accounts for a chunk of Japanese men, including the Imperial family, the oldest documented hereditary monarchy in the world (1,500 years for sure, and mythically back 1,000 years before that).
注4)Japanese Emperors are D1b1a2(IMS-JST022457) The Japanese monarchy (Imperial House of Japan) is the oldest continuous hereditary monarchy in the world still in existence. It has "reigned since time immemorial." Imperial family's genealogical tree sparked the interests not only by Shinto priests, but by anthropologists/geneticists. In these results, we aim at demystifying the lineages of Japanese imperial family for encouraging the further researches in this field. "Genetic Evidence"Most scientists agree on the use of SNP on non-recombining portion of Y-chromosome, known as Y haplogroup. Majority of Japanese males had genetic markers specific to Japanese islands as well as Okinawan. "Birth rates of ruling family"Ruling family and group often dominates in social ranks, and more controversially, in reproductions. Using Y-chromosome data, Genghis Khan's offsprings may have been 16 million people, suggesting that the group of larger disributions could be much likely to be the rulers genetic make-ups. Japan is the oldest continuous hereditary monarchy in the world, and unlike briefly ending rulership of Genghis Khan's heirs, Japanese imperial family and their associates dominated Japan for more one thousand years. Thus, rough estimations of how likely imperial family belonging to each Y-haplogroups may hold equality relation with the frequencies - distributions of Y haplogroup. To this extent, it is natural to expect that there would be more than 60% probability of Japanese emperor descending from the Jomon people of Japan. If Korean farmers really did become dominant in Japan as recently as 400 BC, one might have expected the modern Japanese and Korean languages to be as closely similar as other languages that diverged at such a recent date (eg, German and Swedish), whereas their relationship is in fact much more distant.
注5)京都大学理学博士 蔵琢也(Dr. Takuya Kura)『天皇の遺伝子 -男にしか伝わらない神武天皇のY染色体- (The Gene of Japanese Emperor)』廣済堂(2006.6.10) 207頁。「日本の天皇および古い神主の家系(※出雲国造家のこと)は、同じくY染色体ハプログループD」とあり。
注6)邪馬台国研究概要『縄文系の神武天皇』「近年、分子生物学は飛躍的に発展し、考古学はもとより歴史学においても必要不可欠の分野となってきた。特に父系祖先をたどるY染色体の研究は、日本人のルーツを解明するための大きな手掛かりとなり得る。日本人のY染色体ごとの割合は図(別表1)の通りであり、D1b(D-M64.1) 36%、C1a1(C-M8) 5%に代表される縄文系や、弥生系のO1b2a1a1(O-CTS10145) 25%、O1b(O-M268) 10%、渡来系のO2(O-M122) 20%に大別される。中でも縄文系D1bの主流系統であるハプログループD1b1a2(D-IMS-JST022457)は、今から約700-800年前頃より、他のグループと比べ、圧倒的に多く子孫を増やしていることが明らかとなった。世界中いつの時代も「権力者が子孫を多く残すのに圧倒的優位性を保つ」という分子生物学の常識に照らし合わせて考えると、この現象の要因は、日本史上における「武家政治の台頭」が挙げられる。特に皇別氏族の平氏、源氏、足利氏、徳川氏の台頭は著しいものであった。またそれ以前に繁栄したと見られる弥生系のO1b2a1a1(O-CTS10145)のグループは、神別氏族・藤原氏による摂関政治の時代と重なる。皇別氏族、特に源氏が、天皇家より臣籍降下した皇胤氏族であることは諸書の記録から明らかであるため、翻って考えれば、天皇家のY染色体は、縄文系のグループであるD1b1a2(D-IMS-JST022457)の系統に位置することが伺える。天皇家の発祥地は、記紀の記録に従えば、南九州の現在の宮崎県の辺りであると伝承されてきたが、縄文系遺伝子を受け継いだD1b系統であると裏付けられた意義は大きいのではないか。やはり記紀の記述は正しかったのである。ちなみにアイヌ民族は上記の表でいえば、旭川あたりの調査で多く確認されるD1b系統であり、天皇家と同祖から分岐した同士であることがわかる」
注7)山本峯章『万世一系とY染色体の継承』(2016.5.20)

聖徳太子

用明天皇の第二皇子で、冠位十二階、十七条憲法を定めた聖徳太子(Prince Shotoku, 574-622)のY染色体は、ハプログループD1b1a2(D-IMS-JST022457)である(注1)(注2)。聖徳太子は、継体天皇の曾孫にあたる(注3)(注4)。
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聖徳太子は、推古天皇15年(607)、小野妹子、鞍作福利を使者として隋に「日出処天子至書日没処天子無恙…」と書かれた国書を送った。隋の煬帝にとっては屈辱であったが、隋は当時の世界情勢を鑑み「皇帝敬問倭皇…」と書いた返書を返した。さらにこれに対する返書も「東天皇敬白西皇帝…」となっており、聖徳太子の外交上の勝利によって、隋と日本は対等な関係での国交を結ぶことになったといわれる。聖徳太子の側近として活躍した渡来系の豪族に秦河勝がいる(注5)(注6)。

注1)久保有政『日本とユダヤ 聖徳太子の謎』(2014)、「天皇家のY染色体を受け継いだ聖徳太子も、同じD系統であった」より。
注2)京都大学理学博士 蔵琢也『天皇の遺伝子 男にしか伝わらない神武天皇のY染色体』(2006.6.10) 58頁より。
注3)『日本書紀』「皇帝(敬)問倭皇 使人長吏大禮 蘇因高等至具懷 朕欽承寶命 臨養區宇 思弘德化 覃被含靈 愛育之情 無隔遐邇 知皇介居海表 撫寧民庶 境内安樂 風俗融合 深氣至誠 遠脩朝貢 丹款之美 朕有嘉焉 稍暄 比如常也 故遣鴻臚寺掌客裴世清等 旨宣往意 并送物如別」
注4)高田直樹『皇統の本質はy染色体である』(2013.5.2)

桓武天皇

人皇第50代・桓武天皇(Emperor Kanmu, 737-806)のY染色体は、ハプログループD1b1a2(D-IMS-JST022457)であると推定されている(注1)(注2)(注3)(注4)(注5)。
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桓武天皇は、百済・武寧王とゆかりがあったことで知られる。

注2)崗上虜囚の備忘録『天皇の遺伝子 - D1bタイプの遺伝子を持つ縄文系』(2012.7.7) 本文中、「縄文人の男性のY遺伝子のタイプと言われているD2(現D1b)タイプが、現在、30から40%の多数派を占めていることからも窺がえます。縄文人は縄文末期の寒冷化により数万人に激減したと言われています。それが長江人がもたらした稲作で救われたのです。稲作も数十年で名古屋あたりまで北上しています。これも定住生活が長く、物作りに長けた縄文人なので、技術伝承も容易だったのでしょう。後、中田氏の説が違うと思うのは、神話です。若し呉の貴族が邪馬台国を築く、若しくは邪馬台国の長に祭り上げられて、それで金印を与えられていたのなら、古事記や日本書紀に誇らしげにその事が書かれている筈です。呉の国の伝説は支那にありますが、呉越同舟の言葉があるように、史実に近い形で残っています。それは記憶が新しいからです。それなら当然、呉の国を脱出してきた人々の話は史実に近い形で神話の中に残っているはずですが、なにもありません。天の岩舟の話は有りますが、神が船で渡って来た記述も無いのです。古事記の初めに有るのは、天地未だ別れていない時に、次々と現れて消えてゆく不思議な神達の描写です。そして、イザナギ命、イザナミ尊にまつわる、火山の描写としか思われない火の神の多さです。これは大陸とは関係なく、神話の形成時期が古い事を意味します。そう考えると、天皇の出自は、D2(現D1b)タイプの遺伝子を持つ縄文系ではないかと思わざる得ません。勿論、先住民も渡来人も融和した社会の中から、優れた長が選ばれたのだと考えれば、天皇の出自が渡来系の可能性も否定できません。しかし中田氏が言うような、渡来系が縄文系を追いやったことは無いと思います。当然、騎馬民族が天皇家の先祖などの話は、荒唐無稽以外何ものでもないでしょう」とあり。
注4)同上によれば、「(抄釈)近年、人類の移動経路の解析にY染色体遺伝型を示すハプログループが応用され、それらの移動経路が解明されると共に、日本人は固有のY染色体遺伝型を示すハプログループを持つ事が明らかとなった。大和朝廷の起源は「半島由来の征服王朝」ではないかとする江上波夫らの唱えた仮説は、これら遺伝子解析の結果、否定されることになった。遺伝子解析によれば天皇家の遺伝型はD1b1a2(D-IMS-JST022457)という縄文型である事が判明しており、この系統は中国、朝鮮には殆ど存在しないことで知られる。逆に朝鮮半島南部において日本式前方後円墳や埴輪、糸魚川産出の翡翠などが出土していることなどから、日本は朝鮮半島南部、任那、加羅及び百済、新羅に対して軍事・政治権を保持していた事を傍証として、日本民族(本土日本人、沖縄県民、アイヌ民族)の構成要素は縄文人及び大陸南部より到来したと思われる弥生人であることが明らかとなった」とある。

伏見宮家

伏見宮家のY染色体遺伝子は、ハプログループD1b1a2(D-IMS-JST055457)である(注1)(注2)。これは、伏見宮家の男系子孫1名から得られた解析の結果に基づく。

注1)『古事記には日本人がアフリカから来たと書いてある』、「伏見宮家のY染色体は現皇室と同じことが判明しており」より。
注2)竹田恒泰、八木秀次『皇統保守』(2008)、「自らY染色体を調べた結果、万世一系であることが判明したが、皇室を生物学的唯物論で語ることが躊躇われた為、原稿の当該箇所を後から読み返し総て削除してしまった」より。

東山天皇

人皇第113代・東山天皇(Emperor Higashiyama, 1675-1710)のY染色体遺伝子は、ハプログループD1b1a2(D-IMS-JST055457)である(注1)(注2)(注3)。これは、東山天皇の男系子孫 複数名から採取された口腔粘膜の解析による(注4)(注5)(注6)(注7)(注8)。
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      (東山天皇)
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東山天皇の男系子孫が持つY染色体D1b1a2(D-IMS-JST055457)は、ハプログループDに分類されるものであり、Y染色体の長腕部にYAPと呼ばれる約300塩基からなる特徴的なAlu挿入の痕跡を持っていることで知られる。同系統は中国大陸、朝鮮半島ではほぼ見られず、チベット、フィリピンのマクタン島、アンダマン諸島で見られるのみである。またこの系統の共通の父祖から分岐したハプログループEに分類される系統も同様の痕跡をもつことで知られる。ハプログループEは、地中海沿岸部に住む白人・黒人より検出され、両系統の共通祖先であるハプログループDE系統はナイジェリア、シリア、チベット人男性から検出されている(注9)(注10)(注11)(注12)(注13)(注14)(注15)(注16)(注17)。

注1)"The Imperial family in Japan for example has Ainu Y-DNA haplogroup." Emperor Higashiyama belonged to Y-DNA haplogroup D1b1a2(D-IMS-JST055457/CTS107), with the oral mucosa sample taken from his paternal descendants. Therefore, all men who belong to this Y-DNA haplogroup are descendants of Imperial House of Japan. These results mentions that 6 million Japanese people carry the same Y-DNA lineage as the Imperial family and Genji clan, and that they share a common ancestor about 1000 years ago. That would seem to confirm an exponential propagation linked to the imperial family and the top noble families from the Heian period (794-1185) onward. To this extent, it is natural to expect that there would be more than 60% probability of Japanese emperor descending from the Jomon people of Japan. And these results also mentions that descendants of the Fujiwara clan (which includes people with surnames like Sato, Saito, Muto, Kato, etc. today) belong to Y-dna haplogroup O1b2a1a1(O-CTS10145, CTS11723).
注2)Eupedia"Famous people's Y-DNA listed by haplogroup" Y-STRs applicated to Sumeragi Modal - comparative chart for Y SNP matches of Y haplogroup D1b1a2-IMS-JST055457
注8)歴史雑学探究倶楽部編『完全版 天皇家の謎』(2011)によれば「2005年、小泉内閣時代、私的諮問機関である『皇室典範に関する有識者会議』における議論のなかで、八木秀次・高崎経済大学助教授(当時)を中心として、「皇室に関するY染色体の連続性」という分子生物学的な問題が取り上げられた。その中で、皇室に関する伝承が正しければ、Y染色体が遺伝学的見地からも連続していることが認められる一方で、皇族に出自を持つ臣籍降下した家系は多数存在するため、Y染色体のみを殊更に皇室典範に関する議論で取り上げることは、「現皇族」と「臣籍降下した一般家系」との境界を曖昧とすることに成りかねないとの意見が出た」とある。また、安藤奈津雄(1952-  )『Y染色体に関する調査』(2006.1.27)によれば宮内省筋からの話として「小泉内閣時代の2005年、『皇室典範』の改正問題を話し合う有識者会議において、2600年以上も継承されてきたY染色体に関し、皇室、旧皇族はもとより、それらに準ずる男系子孫も同系統ものが継承されていると考えられるため、非公表を前提としてこれらを調査することになった」とある。
注10)ネット情報では、日本の皇室をO1b2a1a1(O-CTS713)系統とする出所不詳の説があるが、これは朝鮮半島に多いO1b2a1a2a(O-L682)系統に近い種であると錯覚させようとするバイアスがかけられている疑いがあり注意を要する(注9)。 これらの作為的な情報に対しては、特定の系統に対し意図的に優遇もしくは蔑める記述をすることで真相を隠蔽し、階級闘争史観を助長し、深刻な民族対立を煽る者がいることを意識して、客観的かつ冷静に判断をする必要がある。かつて東洋史学者・江上波夫が唱えた『騎馬民族日本征服仮説(きばみんぞくにほんせいふくかせつ)』や、漫画家・手塚治虫による『火の鳥・黎明編』、『アドルフに告ぐ』、小説家・司馬遼太郎『昭和という国家』(NHK出版、1998)、などの類本もそういった所謂プロパガンダ書籍であったと言えよう。
注11)長浜浩明『日本人のルーツの謎を解く』展転社
注12)片山宏二『弥生時代渡来人と土器・青銅器』
注15)分子人類學吧『日本皇室后裔y dna是D1b1a2(D-IMS-JST055457)』(2016.5.4)
注16)歴史討論區『號外!日本皇室的Y染色體出來了』(2017.6.4)、「日本皇室的Y染色體出來了。這箇數據來自東山天皇(1675-1710)。而東山天皇的Y是D1b1a2(D-IMS-JST055457)」


南朝・後村上天皇

南朝・後村上天皇(Emperor Gomurakami, 1328-1368)の男系子孫のY染色体を調査した結果、ハプログループD1b1a2(D-IMS-JST022457)であることが判明した(注1)(注2)。
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     (後村上天皇)
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注1)23andMe"DNA RELATIVES"(2012.4.5)

近衞文麿

内閣総理大臣を務めた、近衞文麿(Fumimaro Konoe, 1891-1945)のY染色体は、ハプログループD1b1a2(D-IMS-JST022457)である(注1)。
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近衞文麿は、近衞家の第30代当主。近衞家は藤原姓であるが、血統上は人皇第107代・後陽成天皇(Emperor Goyozei, 1571-1617)の男系12世子孫で、母系の先祖が藤原忠通(Tadamichi Fujiwara, 1097-1164)に連なる家柄。近衞文麿は、八紘一宇の理念を基に、人種差別を撤廃し、白人勢力によるアジアの植民地支配からの解放と大東亜共栄圏建設を目標に掲げ、東亜の平和安定と新秩序の構築に盡力した。内閣総理大臣在任中は民意を結集して大政翼賛会を創設し、その初代総裁を務めた。外交政策では日独伊三国軍事同盟、日ソ不可侵條約を締結するなど、卓越した政治的指導力を発揮。また、枢密院議長や日本放送協会第2代総裁などを歴任した。第79代内閣総理大臣・細川護煕(Morihiro Hosokawa, 1938-  )は、近衞文麿の外孫にあたる。

注1)豊島史俊『古代日本のDNA - 皇室のDNA』(2015.10.1)

Y染色体D1b1a2a系統(Yap+)【日本固有種】

中田真秀

理化学研究所情報基盤センター協力研究員・中田真秀(Maho Nakata)のY染色体は、ハプログループD1b1a2a(D-P53.2)である(注1)(注2)(注3)。中田真秀のミトコンドリアDNAはこちらを参照。

注3)ISOGG 2017(ver12.162)による表記。原文による表記では「D2a1b1(D-P53.2)」である。

Y染色体D1b1a2b1a1系統(Yap+)【日本固有種】

源義家

清和源氏の嫡流で鎮守府将軍を相続した源義家(Minamoto no Yoshiie, 1039-1106)のY染色体は、ハプログループD1b1a2b1a1(D-Z1504, CTS8093)である(注1)(注2)
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     (八幡太郎源義家)
DYS 393 390 19 391 385a 385b 426 388 439 389i 392 389ii
Alleles 13 25 17 10 13 17 11 12 12 14 11 31

DYS 458 437 448 Y-GATA-H4 456 438 635        
Alleles 15 14 19 11 15 10 21        

鎮守府将軍は、歴史的には清和源氏のみが独占したものではないが、源義家の祖父・源頼信、父・源頼義、源義家と鎮守府将軍職を相続したことから、源頼信より分流した家系のY-STRは便宜上「Shogun modal」と呼ばれている。鎌倉幕府を開いた源頼朝は、義家の玄孫にあたる。また、義家の弟・源義光の子孫から守護大名の甲斐武田家が出るなど、非常に多くの分流を輩出した(注3)(注4)。

注1)D2a1b(D-CTS107/IMS-JST055457, IMS-JST022457) Shogun Y-STR modal defined by chojae
注2)ISOGG 2017(ver12.50)による表記。原文によるISOGG 2013表記では「D2a1b*(D-IMS-JST022457, subclade-CTS8093)」である。

源頼朝

鎌倉幕府を開いた源頼朝(Minamoto no Yoritomo, 1147-1199)を含む清和源氏のY染色体は、ハプログループD1b1a2b1a1(D-Z1504, CTS8093)である(注1)(注2)(注3)。
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        (源頼朝)
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DYS 393 390 19 391 385a 385b 426 388 439 389i 392 389ii
Alleles 13 25 17 10 13 17 11 12 12 14 11 31

源頼朝は、河内源氏の源義朝の三男として生まれ、父・源義朝が平治の乱で敗れると伊豆国へ配流されたが、やがて配流地の伊豆で以仁王の令旨を受け、北條時政、北條義時などの坂東武士らと平氏打倒の兵を挙げ、鎌倉を本拠として源義仲や平氏を倒し諸国に守護と地頭を配して力を強め、奥州藤原氏を滅ぼして全国を平定した。建久3年(1192)に征夷大将軍に任じられ鎌倉に幕府を開いた。

注1)D2a1b(D-CTS107/IMS-JST055457, IMS-JST022457) Shogun Y-STR modal defined by chojae
注2)ISOGG 2017(ver12.50)による表記。原文によるISOGG 2013表記では「D2a1b*(D-IMS-JST022457, subclade-CTS8093)」である。

佐々木秀義

平安時代末期の武将・佐々木秀義(Hideyoshi Sasaki, 1112-1184)のY染色体は、ハプログループD1b1a2b1a1(DCTS8093)であると推定される(注1)(注2)。
sahideyoshi.jpg
      (佐々木秀義)
13歳の時に、源為義(1096-1156)の猶子となり、成人して為義の娘と婚した。実父は、近江国蒲生郡佐々木庄の領主・佐々木為俊、母は奥州安倍宗任(1032-1108)の娘。平治合戦の時、源義朝に従い敗れて所領を追われた。母方の従兄弟である奥州 藤原秀衡(  -1187)を頼って落延びる途中、秀義の武勇に惚れ込んだ相模国澁谷庄の領主・澁谷重国に引き留められ、食客した。源頼朝の挙兵の時に、息子等4人を差し向け忠義を表した。のち本貫を安堵されるも討死し、近江権守を追贈された(注3)。

平治合戦で領国を追われた時、佐々木秀義自身は、奥州まで落ち延びなかったが、一族郎党の多くは奥州藤原氏を頼って落ち延びた。現在でも秋田、青森、岩手、宮城に佐々木姓が多いのはこのためであると言われる。

注2)EastAsiaDNA "Y-DNA of Miyagi-Sasaki"(2016.9.24)
注3)佐々木秀義の母(安倍宗任の娘)の姉が藤原基衡(  -1157)に嫁ぎ、生まれたのが藤原秀衡(  -1187)であるため、佐々木秀義の母方の従兄弟が藤原秀衡となる。

大庭景義

平安時代末期の相模国の武将・大庭景義(Kageyoshi Ohba, 1128-1210)のY染色体は、ハプログループD1b1a2b1a1i(D-Z40687, subclade-BY13985)である(注1)。大庭景義は、平良文の末裔で、鎌倉景政の曾孫にあたる(注2)。
kanmu1.jpg

DYS 393 390 19 391 385a 385b 426 388 439 389i 392 389ii
Alleles 13 25 17 10 13 16 11 12 12 14 11 31

注1)Family Tree DNA "Y-DNA D Haplogroup"
注2)『新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集』

Y染色体ハプログループD1b1c1c (Yap+)【日本固有種】

饒速日命

饒速日命(Nigihayahi-no-mikoto)のY染色体は、ハプログループD1b1c1c(D-Z30643)系統であると推定される(注1)。これは、物部氏から得られたデータに基づくものである(注2)。
nigihayahi2.jpgmoriya_mononobe.jpg
      (饒速日命)             (物部守屋)

DYS 393 390 19 391 385a 385b 426 388 439 389i 392 389ii
Alleles 13 26 16 10 12 16 11 12 13 13 11 30

DYS 458 459a 459b 455 454 447 437 448 449 464a 464b 464c
Alleles 16 10 10 11 11 25 14 17 29 17 17 17

正史によれば、饒速日命は神武東征に先立って大和国(現 奈良県)を平定した一族であると記録されている(注3)。饒速日命の子孫は、物部氏、石上(いそのかみ)氏、阿刀(あと)氏などを本流として栄えた古族。秋田の唐松神社は神功皇后の創建で、天喜5年(1057)に源義家が再建した。その後、延宝8年(1680)に現在の場所に移転。宮司は代々物部氏が務めた(注3)(注4)(注5)。

物部守屋と崇仏・廃仏論争

敏達天皇14年(585)、「一部の人々が蕃神(外国の神, =仏教のこと)を信奉したために疫病が起きた」と物部守屋中臣勝海(中臣氏は神祇を祭る氏族)らが奏上し仏教の禁止を求めた。天皇は仏法を止めるよう詔した。守屋は自ら寺に赴き、胡床に座り、仏塔を破壊し、仏殿を焼き、仏像を海に投げ込ませた。その後、用明天皇2年4月2日(587)、用明天皇(聖徳太子の父)は病になり、三宝(仏法)を信奉したいと欲し、群臣に議するよう詔した。物部守屋と中臣勝海は「国神(日本古来の神々)を疎かにして他神(外国の神)を敬うなど、前代未聞の暴挙である」と反対した。

注1)FTDNA"Y-DNA D Haplogroup Project"(Kit Number:348320, Obara)
注2)Ysearch"Haplogroup D2a"(User ID:6CHW8, Obara)
注3)『日本書紀』(卷第3 神武天皇即位前紀戊午年12月)
注5)『秋田県の物部氏4』(2014.9.6)
※饒速日命の画像は秋田「唐松神社」所蔵の『饒速日命御神像掛軸』による。


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  • 最終更新:2017-08-24 11:01:58

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