Y染色体D1b1a2系統

アフリカ大陸の北東部にいた古代(約6万8,500年前)のある一人の男性の遺伝子に起きたYAPと呼ばれる因子を持つ系統。この系統は、Y染色体上の長腕部「DYS287 Yq11」に、約300塩基からなるAlu配列(Alu sequence)の挿入多型を余分に持つことで知られる。

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(左)D1b系統の分布図   (右)D系統の拡散経路を示す想定図(2017)

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Y染色体ハプログループD1b1a2系統(Yap+)【日本固有種】

分子時計の推算によれば、ハプログループD1b1aからハプログループD1b1a2(旧名称D2a1b)へは、約1万3,000年前に分岐した系統である。

酒井崇匡

博報堂生活總合研究所研究員・酒井崇匡(Takamasa Sakai, 1982-  )のY染色体は、ハプログループD1b1a2(D-IMS-JST022457)である(注1)(注2)(注3)(注4)。
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        (酒井家の系譜)
酒井崇匡は、1982年千葉県生まれ。2005年早稲田大学政治経済学部卒、同年、博報堂入社。マーケティングプラナーとして、教育、通信、外食、自動車、エンターテインメントなど諸分野でのブランディング、商品開発、コミュニケーションプラニングに従事。2008年より博報堂教育コミュニケーション推進室に参加。2012年より現職。

注2)23andMe"DNA RELATIVES"
注4)『藩翰譜』、『寛政重修諸家譜』日本三河國(現愛知縣)酒井氏的父祖,酒井廣親是松平泰親的異母兄,則是德川家和同祖。

橘孝三郎

戦前の農本主義思想家、超国家主義者・橘孝三郎(Kozaburo Tachibana, 1893-1974)のY染色体は、ハプログループD1b1a2(D-IMS-JST022457)であると推測される(注1)。橘孝三郎は、茨城県東茨城郡常磐村(現 水戸市)の出身。評論家・立花隆(Takashi Tachibana, 本名:橘 隆志, 1940-  )は、従兄弟の息子に当たる。
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2005年、日本の評論家の立花隆は、 日本の皇室の神聖性を否定する立場から、「皇室のy染色体系統は、最も日本人にありふれたもの。立花家の先祖も系譜によれば天皇家に繋がるので、 私もたぶん同じ。希少でもなんでもない」と発言している(注2)。この発言内容が正しければ、立花隆のY染色体はハプログループD1b1a2(D-IMS-JST022457)であると推測され、彼と同一父系に属する橘孝三郎も同一のハプログループに属すると考えられる。

注1)『神武天皇のY染色体を受け継ぐ人々はゴロゴロいる』(2005.12.5)本文中に「天皇家の由来のY染色体が現在日本の集団内でそう珍しいものではないだろうという結論(※引用者注:立花隆の発言による結論)は正しい。そう考える理由は二つある。一つは、天皇家のY染色体は繁殖成功しやすいこと、もう一つが、そもそもが現在まで残っているY染色体はなんであれ、ほとんどが「集団内では主流の系統」であるということ。上記引用(※引用者注:原文中に歴代天皇の残された子供の数の調査結果の記載がありそれを指す)でも歴代の天皇たちは、子供が数人どころか、数十人ももうけるのが珍しくなかった(中略)。それだけで、同世代の「ライバルのY染色体に対して優位」である。さらに傍流とされ、臣籍降下して「皇室を離れた人たちであっても、一般庶民と比較すれば繁殖に有利であっただろう」とあり、この場合、臣籍降下して一般人となった人々にも同じY染色体が受け継がれ繁殖を拡大して行くこととなり得るのである。また欧州の王侯貴族と比較して「Y染色体を何十世代に渡って継承することが確立論的にあり得ない」と主張する論者がいるが、それらの比較対象である欧州の王侯は中世以来、キリスト教主義的一夫一婦製を採用しており、明治の御代まで一夫多妻制であった本邦とは比較の対象となり得ない。あえて対象を探せば、一夫四妻制を施くアラブ諸国の王侯と比較するべきであり、それらを窺見した場合、Y染色体の継承が確実に果たされていることを知ることが可能である。
注2)いわゆる「立花発言」と呼ばれるもの。
注3)『男系継承とY染色体』(2010.3.25)※立花隆の計算(前提条件)の間違いについて指摘あり。

神武天皇

大和民族の初代皇帝とされる神武天皇(Emperor Jinmu/Kamu-Yamato-iwarehiko-no-sumeramikoto)のY染色体は、ハプログループD1b1a2(D-IMS-JST022457)であると推定されている(注1)(注2)(注3)(注4)。
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神武天皇は、宮崎県の山岳部の出身で、後に一族を率いて、大和(現 奈良県)に移動し日本を建国したことで知られる。『日本書紀』によれば、甲寅の歳、45歳のとき日向国の地高千穂宮にあった神武天皇は、兄弟や皇子を集めて「天孫降臨以来、長大な年月を経たが、我々は未だに国土の西辺にあって、この土地は全土を統治するのには適していない。もっと東に行けば美しい土地があるという。その場所は青い山が四周にあり、天から饒速日命が天下って人々を束ね統治しているという。そこは六合(くに)の中心であり、大業を広げて、天下を治めるにふさわしい土地である。よって、その場所に行って国を建て都にしたいと思う」と宣言した。諸皇子はみなこれに賛成し東征が開始されたといわれる(注5)(注6)。

『日本書紀』の記載年代によれば、神武天皇の生没年は(BC711-BC585)とされているが、生物学的算定では神武天皇は西暦20年頃誕生した人物されている。また『日本書紀』においては神武天皇の曾祖父に位置づけられている瓊瓊杵尊とは、分子生物学における算定では実際には約840世代離れた父系関係を有する親族であることが明らかとなった。考古学的調査では、卑弥呼〜臺與の王朝が滅びた(滅ぼされた)後に、大和朝廷が成立したと考えられ、この時代は天皇系譜によれば10代後の崇神天皇(Emperor Sujin)の時代に該当する。これらのことから、(初代)神武(Emperor Jinmu)~(9代)開化天皇(Emperor Kaika)までの間は、実際には皇室は大和入りをしておらず、日向から東征して大和朝廷を確立(事実上の日本建国)したのは、崇神天皇(Emperor Sujin)の時代である可能性が高い(注7)(注8)。これらの説に従えば、後世「神武天皇」として知られる始祖王~開化天皇は、日向時代の王であったのではないかと考えられている。

注6)To the best of our knowledge, using the archaeological record and anthropological reasoning, the first people to step on the land that is now "Japan" immigrated from the south and have much in common with Okinawans and pacific islanders. They went through the slow process of transitioning from hunting-gathering as a lifestyle to more sedentary tribal setups, and were known as the Jomon people. Over time, they engaged in more agriculture and created lasting settlements, and as the population grew, a social structure based on clan allegiance tied to geographical origin grew. There were multiple confederations of clans engaged in a variety of relationships with other confederations and states in East Asia. One confederation in particular is the Yamato Kingdom. The King of Yamato (and the first Emperor of Japan) who name is Jinmu (Kamu-Yamato-iwarehiko-no-sumeramikoto/Sano/Hohodemi/Wakamikenu/Toyomikenu) is Jomon, no Ainu. Ainu is close to Jomon, but not same with Jomon. Ainu has Okhotsk DNA a little. Okinawan is the next close to Jomon. Most of Japanese are Yamato Japanese, mixed blood of Jomon and Yayoi. We can say this with DNA testing result. Today 99.5% of people are Yamato Japanese in Hokkaido. Yamato united main land of Japan in 5th century. Ainu culture began from the 13th century.
注9)中堀豊『Y性染色体多型による日本人男性分類と男性生殖戦略』(日本産婦人科誌56巻9号)
注11)山本峯章『日本文明としての神道と天皇』(2016.3.22)
注13)『分子生物学、人類遺伝学、考古学、歴史学界から導き出された最新の学説』(2007.2.11) 1.邪馬台国の勢力範囲は「九州北部〜中国地方〜畿内」であり、本拠地は「大和(奈良)」である。狗奴国の勢力範囲は「九州中部〜南部」であり、本拠地は九州南部の「日向(宮崎)」である。投馬国は「出雲(島根)」である。2.皇室の祖先は稲作文化を伝えた弥生系の人物ではない。3.邪馬台国の王は、皇室の父系祖先ではない。皇室の父系祖先は狗奴国の王統に属する。4.古墳の埋葬者は、皇室の父系祖先であるものと異なるものとが混在している。5.『日本書紀』の記載年代は、「欽明天皇」以降が実年代であり、それ以前に関しては信頼性に乏しい。朝鮮半島の史書は「武寧王」以降が実年代であり、それ以前に関しては信頼性に乏しい。6.神武天皇は、実際には西暦20年頃誕生、西暦60年頃即位した人物である。7.神武天皇は、実際には大和入りをしておらず橿原宮で即位をしていない。8.日向から東征して邪馬台国を滅し、実際に大和朝廷を築いたのは神武天皇より10世代後の崇神天皇の時代である。9.魏志倭人伝に載る「難升米」は、日本書紀に載る「長髄彦」のことである。10.「瓊瓊杵尊〜神武天皇」の間は、実際には約842世代離れているが皇統は断絶していない。
注14)宮内庁『天皇系図

行燈山古墳の被葬者

行燈山古墳(Andon-yama Kofun)の被葬者のY染色体は、ハプログループD1b1a2b1a1a(D-CTS8093)であると推定されている(注2)(注3)。
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「行燈山古墳」は奈良県天理市柳本町にある「柳本古墳群」を構成する古墳の1つで、形状は前方後円墳。出土埴輪・出土銅板から古墳時代前期後半の4世紀前半頃の築造と推定される(注1)。柳本古墳群では渋谷向山古墳に先行する時期の築造とされ、邪馬台国と入れ替わる形で成立した初期ヤマト王権の大王墓と考えられている。被葬者の実名は明らかでないが、現在は宮内庁により第10代崇神天皇の陵に治定され同庁の管理下にあり、昭和49年(1974)-同50年(1975)に宮内庁書陵部による外堤・渡堤・後円部墳丘裾部での発掘調査が実施されたほかに、平成29年(2017)、学術団体による立ち入り調査が実施された(注1)。また海外メディアの伝えるところによれば、被葬者の直系子孫から得られたサンプルと比較した結果、一塩基多型のCTS8093がポジティブであったことなどから、結論は先送りされているが、被葬者はD1b1a2b1a1a(D-CTS8093)である可能性が高いと指摘されている(注2)(注3)(注4)。

注1)共同通信『研究者ら崇神天皇陵を立ち入り調査』(2017.2.24)
注2)讀賣新聞『研究者ら崇神天皇陵調査へ』(2017.2.27)
注3)FTDNA Y-DNA D Project"Y-DNA of Sumeramikoto"(Kit Number:N253487), D1b1a2b1a1a(D-CTS8093)
注4)"Hatsukunishirasu Sumeramikoto"の直系子孫、複数名から得られたサンプルに基づく解析結果。

継体天皇

人皇第26代・継体天皇(Emperor Keitai, 450-531)のY染色体は、ハプログループD1b1a2(D-IMS-JST022457)である(注1)(注2)(注3)(注4)(注5)(注6)(注7)(注8)。
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分子生物学の研究者によれば、皇室のY染色体は、縄文人由来の古代系統に属するハプログループD1b1a2(D-IMS-JST022457)であろうことが以前から指摘されていたが「最も繁栄した系統」とは「最もありふれた系統」であることを意味してしまうため公表を控えられたという経緯があるという。しかし世界的には稀少種で、特にこのD1b系統は日本固有種にあたる。兄弟系統にあたるハプログループD系統も日本列島以外では、フィリピンの少数部族、チベット山岳民族、アンダマン諸島の原住民族の一部からしか検出されていない。これらの事から、皇統は日本列島以外では超古代に滅びた系統であり、同時に日本列島は誕生以来、他民族から一度も侵略されたことが無いという事実も浮かび上った。さらに、統計学的にも現在もD系統の一大繁栄地が日本列島であり、日本人男性の約3人に1人(30%)がこの系統に属し、古代に日本列島に君臨したたった一人の男性の子孫に収斂することが裏付けられている(注9)(注10)(注11)。

注2)Roots to Now"Family Tree Tracking from Fatherhood Poetic"(2006.9.3)
注3)This group accounts for a chunk of Japanese men, including the Imperial family, the oldest documented hereditary monarchy in the world (1,500 years for sure, and mythically back 1,000 years before that).
注5)Japanese Emperors are D1b1a2(IMS-JST022457) The Japanese monarchy (Imperial House of Japan) is the oldest continuous hereditary monarchy in the world still in existence. It has "reigned since time immemorial." Imperial family's genealogical tree sparked the interests not only by Shinto priests, but by anthropologists/geneticists. In these results, we aim at demystifying the lineages of Japanese imperial family for encouraging the further researches in this field. "Genetic Evidence"Most scientists agree on the use of SNP on non-recombining portion of Y-chromosome, known as Y haplogroup. Majority of Japanese males had genetic markers specific to Japanese islands as well as Okinawan. "Birth rates of ruling family"Ruling family and group often dominates in social ranks, and more controversially, in reproductions. Using Y-chromosome data, Genghis Khan's offsprings may have been 16 million people, suggesting that the group of larger disributions could be much likely to be the rulers genetic make-ups. Japan is the oldest continuous hereditary monarchy in the world, and unlike briefly ending rulership of Genghis Khan's heirs, Japanese imperial family and their associates dominated Japan for more one thousand years. Thus, rough estimations of how likely imperial family belonging to each Y-haplogroups may hold equality relation with the frequencies - distributions of Y haplogroup. To this extent, it is natural to expect that there would be more than 60% probability of Japanese emperor descending from the Jomon people of Japan. If Korean farmers really did become dominant in Japan as recently as 400 BC, one might have expected the modern Japanese and Korean languages to be as closely similar as other languages that diverged at such a recent date (eg, German and Swedish), whereas their relationship is in fact much more distant.
注6)京都大学理学博士 蔵琢也(Dr. Takuya Kura)『天皇の遺伝子 -男にしか伝わらない神武天皇のY染色体- (The Gene of Japanese Emperor)』廣済堂(2006.6.10) 207頁。「日本の天皇および古い神主の家系(※出雲国造家のこと)は、同じくY染色体ハプログループD」とあり。
注7)邪馬台国研究概要『縄文系の神武天皇』「近年、分子生物学は飛躍的に発展し、考古学はもとより歴史学においても必要不可欠の分野となってきた。特に父系祖先をたどるY染色体の研究は、日本人のルーツを解明するための大きな手掛かりとなり得る。日本人のY染色体ごとの割合は図(別表1)の通りであり、D1b(D-M64.1) 36%、C1a1(C-M8) 5%に代表される縄文系や、弥生系のO1b2a1a1(O-CTS10145) 25%、O1b(O-M268) 10%、渡来系のO2(O-M122) 20%に大別される。中でも縄文系D1bの主流系統であるハプログループD1b1a2(D-IMS-JST022457)は、今から約700-800年前頃より、他のグループと比べ、圧倒的に多く子孫を増やしていることが明らかとなった。世界中いつの時代も「権力者が子孫を多く残すのに圧倒的優位性を保つ」という分子生物学の常識に照らし合わせて考えると、この現象の要因は、日本史上における「武家政治の台頭」が挙げられる。特に皇別氏族の平氏、源氏、足利氏、徳川氏の台頭は著しいものであった。またそれ以前に繁栄したと見られる弥生系のO1b2a1a1(O-CTS10145)のグループは、神別氏族・藤原氏による摂関政治の時代と重なる。皇別氏族、特に源氏が、天皇家より臣籍降下した皇胤氏族であることは諸書の記録から明らかであるため、翻って考えれば、天皇家のY染色体は、縄文系のグループであるD1b1a2(D-IMS-JST022457)の系統に位置することが伺える。天皇家の発祥地は、記紀の記録に従えば、南九州の現在の宮崎県の辺りであると伝承されてきたが、縄文系遺伝子を受け継いだD1b系統であると裏付けられた意義は大きいのではないか。やはり記紀の記述は正しかったのである。ちなみにアイヌ民族は上記の表でいえば、旭川あたりの調査で多く確認されるD1b系統であり、天皇家と同祖から分岐した同士であることがわかる」
注8)山本峯章『万世一系とY染色体の継承』(2016.5.20)
注10)『全人類系図』(2017.4.4) Most of Japanese males share their paternal lineages with the Imperial Family. Poznik et al. (2016) have reported that the males in the JPT (Japanese in Tokyo, Japan) sample of the 1000 Genomes Project are :皇別D1b-M55(36%)20/56, 神別O1b2-P49(32%)18/56, 諸蕃O2-M122(18%)10/56, 地祇C1a1-M8(7.1%)4/56, 諸系O1a-M119(3.6%)2/56, 諸系C2-M217(3.6%)2/56
注12)澤田内科医院『伝統を重んじる』(2006.9.15)

聖徳太子

用明天皇の第二皇子で、冠位十二階、十七条憲法を定めた聖徳太子(Prince Shotoku, 574-622)のY染色体は、ハプログループD1b1a2(D-IMS-JST022457)である(注1)(注2)。聖徳太子は、継体天皇の曾孫にあたる(注3)(注4)。
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聖徳太子は、推古天皇15年(607)、小野妹子、鞍作福利を使者として隋に「日出処天子至書日没処天子無恙…」と書かれた国書を送った。隋の煬帝にとっては屈辱であったが、隋は当時の世界情勢を鑑み「皇帝敬問倭皇…」と書いた返書を返した。さらにこれに対する返書も「東天皇敬白西皇帝…」となっており、聖徳太子の外交上の勝利によって、隋と日本は対等な関係での国交を結ぶことになったといわれる。聖徳太子の側近として活躍した渡来系の豪族に秦河勝がいる(注5)(注6)。

注1)久保有政『日本とユダヤ 聖徳太子の謎』(2014)、「天皇家のY染色体を受け継いだ聖徳太子も、同じD系統であった」より。
注2)京都大学理学博士 蔵琢也『天皇の遺伝子 男にしか伝わらない神武天皇のY染色体』(2006.6.10) 58頁より。
注3)『日本書紀』「皇帝(敬)問倭皇 使人長吏大禮 蘇因高等至具懷 朕欽承寶命 臨養區宇 思弘德化 覃被含靈 愛育之情 無隔遐邇 知皇介居海表 撫寧民庶 境内安樂 風俗融合 深氣至誠 遠脩朝貢 丹款之美 朕有嘉焉 稍暄 比如常也 故遣鴻臚寺掌客裴世清等 旨宣往意 并送物如別」
注4)高田直樹『皇統の本質はy染色体である』(2013.5.2)

桓武天皇

人皇第50代・桓武天皇(Emperor Kanmu, 737-806)のY染色体は、ハプログループD1b1a2(D-IMS-JST022457)であると推定されている(注1)(注2)(注3)(注4)(注5)。
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桓武天皇は、百済・武寧王とゆかりがあったことで知られる。

注2)崗上虜囚の備忘録『天皇の遺伝子 - D1bタイプの遺伝子を持つ縄文系』(2012.7.7) 本文中、「縄文人の男性のY遺伝子のタイプと言われているD2(現D1b)タイプが、現在、30から40%の多数派を占めていることからも窺がえます。縄文人は縄文末期の寒冷化により数万人に激減したと言われています。それが長江人がもたらした稲作で救われたのです。稲作も数十年で名古屋あたりまで北上しています。これも定住生活が長く、物作りに長けた縄文人なので、技術伝承も容易だったのでしょう。後、中田氏の説が違うと思うのは、神話です。若し呉の貴族が邪馬台国を築く、若しくは邪馬台国の長に祭り上げられて、それで金印を与えられていたのなら、古事記や日本書紀に誇らしげにその事が書かれている筈です。呉の国の伝説は支那にありますが、呉越同舟の言葉があるように、史実に近い形で残っています。それは記憶が新しいからです。それなら当然、呉の国を脱出してきた人々の話は史実に近い形で神話の中に残っているはずですが、なにもありません。天の岩舟の話は有りますが、神が船で渡って来た記述も無いのです。古事記の初めに有るのは、天地未だ別れていない時に、次々と現れて消えてゆく不思議な神達の描写です。そして、イザナギ命、イザナミ尊にまつわる、火山の描写としか思われない火の神の多さです。これは大陸とは関係なく、神話の形成時期が古い事を意味します。そう考えると、天皇の出自は、D2(現D1b)タイプの遺伝子を持つ縄文系ではないかと思わざる得ません。勿論、先住民も渡来人も融和した社会の中から、優れた長が選ばれたのだと考えれば、天皇の出自が渡来系の可能性も否定できません。しかし中田氏が言うような、渡来系が縄文系を追いやったことは無いと思います。当然、騎馬民族が天皇家の先祖などの話は、荒唐無稽以外何ものでもないでしょう」とあり。
注4)同上によれば、「(抄釈)近年、人類の移動経路の解析にY染色体遺伝型を示すハプログループが応用され、それらの移動経路が解明されると共に、日本人は固有のY染色体遺伝型を示すハプログループを持つ事が明らかとなった。大和朝廷の起源は「半島由来の征服王朝」ではないかとする江上波夫らの唱えた仮説は、これら遺伝子解析の結果、否定されることになった。遺伝子解析によれば天皇家の遺伝型はD1b1a2(D-IMS-JST022457)という縄文型である事が判明しており、この系統は中国、朝鮮には殆ど存在しないことで知られる。逆に朝鮮半島南部において日本式前方後円墳や埴輪、糸魚川産出の翡翠などが出土していることなどから、日本は朝鮮半島南部、任那、加羅及び百済、新羅に対して軍事・政治権を保持していた事を傍証として、日本民族(本土日本人、沖縄県民、アイヌ民族)の構成要素は縄文人及び大陸南部より到来したと思われる弥生人であることが明らかとなった」とある。

伏見宮家

伏見宮家のY染色体遺伝子は、ハプログループD1b1a2(D-IMS-JST055457)である(注1)(注2)。これは、伏見宮家の男系子孫1名から得られた解析の結果に基づく(注3)(注4)。

注1)『古事記には日本人がアフリカから来たと書いてある』、「伏見宮家のY染色体は現皇室と同じことが判明しており」より。
注2)竹田恒泰、八木秀次『皇統保守』(2008)、「自らY染色体を調べた結果、万世一系であることが判明したが、皇室を生物学的唯物論で語ることが躊躇われた為、原稿の当該箇所を後から読み返し総て削除してしまった」より。

東山天皇

人皇第113代・東山天皇(Emperor Higashiyama, 1675-1710)のY染色体遺伝子は、ハプログループD1b1a2(D-IMS-JST055457)である(注1)(注2)(注3)。これは、東山天皇の男系子孫 複数名から採取された口腔粘膜の解析による(注4)(注5)(注6)(注7)(注8)。
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      (東山天皇)
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東山天皇の男系子孫が持つY染色体D1b1a2(D-IMS-JST055457)は、ハプログループDに分類されるものであり、Y染色体の長腕部にYAPと呼ばれる約300塩基からなる特徴的なAlu挿入の痕跡を持っていることで知られる。同系統は中国大陸、朝鮮半島ではほぼ見られず、チベット、フィリピンのマクタン島、アンダマン諸島で見られるのみである。またこの系統の共通の父祖から分岐したハプログループEに分類される系統も同様の痕跡をもつことで知られる。ハプログループEは、地中海沿岸部に住む白人・黒人より検出され、両系統の共通祖先であるハプログループDE系統はナイジェリア、シリア、チベット人男性から検出されている(注9)(注10)(注11)(注12)(注13)(注14)(注15)(注16)(注17)。

注1)"The Imperial family in Japan for example has Ainu Y-DNA haplogroup." Emperor Higashiyama belonged to Y-DNA haplogroup D1b1a2(D-IMS-JST055457/CTS107), with the oral mucosa sample taken from his paternal descendants (=probably Prince Mikasa, Tokudaiji, Sumitomo and two persons). Therefore, all men who belong to this Y-DNA haplogroup are descendants of Imperial House of Japan. These results mentions that 6 million Japanese people carry the same Y-DNA lineage as the Imperial family and Genji clan, and that they share a common ancestor about 1000 years ago. That would seem to confirm an exponential propagation linked to the imperial family and the top noble families from the Heian period (794-1185) onward. To this extent, it is natural to expect that there would be more than 60% probability of Japanese emperor descending from the Jomon people of Japan. And these results also mentions that descendants of the Fujiwara clan (which includes people with surnames like Sato, Saito, Muto, Kato, etc. today) belong to Y-dna haplogroup O1b2a1a1(O-CTS10145, CTS11723).
注2)Eupedia"Famous people's Y-DNA listed by haplogroup" Y-STRs applicated to Sumeragi Modal - comparative chart for Y SNP matches of Y haplogroup D1b1a2-IMS-JST055457
注8)歴史雑学探究倶楽部編『完全版 天皇家の謎』(2011)によれば「2005年、小泉内閣時代、私的諮問機関である『皇室典範に関する有識者会議』における議論のなかで、八木秀次・高崎経済大学助教授(当時)を中心として、「皇室に関するY染色体の連続性」という分子生物学的な問題が取り上げられた。その中で、皇室に関する伝承が正しければ、Y染色体が遺伝学的見地からも連続していることが認められる一方で、皇族に出自を持つ臣籍降下した家系は多数存在するため、Y染色体のみを殊更に皇室典範に関する議論で取り上げることは、「現皇族」と「臣籍降下した一般家系」との境界を曖昧とすることに成りかねないとの意見が出た」とある。また、安藤奈津雄(1952-  )の『Y染色体に関する調査』(2006.1.27)によれば宮内省筋からの話として「小泉内閣時代の2005年、『皇室典範』の改正問題を話し合う有識者会議において、2600年以上も継承されてきたY染色体に関し、皇室、旧皇族はもとより、それらに準ずる男系子孫も同系統ものが継承されていると考えられるため、非公表を前提としてこれらを調査することになった」とある。
注10)ネット情報では、日本の皇室をO1b2a1a1(O-CTS713)系統とする出所不詳の説があるが、これは朝鮮半島に多いO1b2a1a2a(O-L682)系統に近い種であると錯覚させようとするバイアスがかけられている疑いがあり注意を要する(注9)。 これらの作為的な情報に対しては、特定の系統に対し意図的に優遇もしくは蔑める記述をすることで真相を隠蔽し、階級闘争史観を助長し、深刻な民族対立を煽る者がいることを意識して、客観的かつ冷静に判断をする必要がある。かつて東洋史学者・江上波夫が唱えた『騎馬民族日本征服仮説(きばみんぞくにほんせいふくかせつ)』や、漫画家・手塚治虫による『火の鳥・黎明編』、『アドルフに告ぐ』、小説家・司馬遼太郎『昭和という国家』(NHK出版、1998)、などの類本もそういった所謂プロパガンダ書籍であったと言えよう。ハプログループD1b1a2系統のマイクロサテライト最頻値は、日本最多のグループを形成している。これらに属する推定600万人余りの男性は、約1,000年前に共通祖先を持つ人々であることが明らかで、他系統ではこれに並ぶものは存在しない。これは、約1,000年前にいた日本の権力者が一夫多妻であり、かつY染色体がD1b1a2系統の人物であったことを示唆している可能性が極めて高いと言われる。
注11)長浜浩明『日本人のルーツの謎を解く』展転社
注12)片山宏二『弥生時代渡来人と土器・青銅器』
注15)分子人類學吧『日本皇室后裔y dna是D1b1a2(D-IMS-JST055457)』(2016.5.4)
注16)歴史討論區『號外!日本皇室的Y染色體出來了』(2017.6.4)、「日本皇室的Y染色體出來了。這箇數據來自東山天皇(1675-1710)。而東山天皇的Y是D1b1a2(D-IMS-JST055457)」

南朝・後村上天皇

南朝・後村上天皇(Emperor Gomurakami, 1328-1368)の男系子孫のY染色体を調査した結果、ハプログループD1b1a2(D-IMS-JST022457)であることが判明した(注1)(注2)。
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     (後村上天皇)
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注1)23andMe"DNA RELATIVES"(2012.4.5)
注3)EUPEDIA FORUM"Japanese Emperors are D1b1a2"(2016.5.10)
注4)『關于Y染色體D1b在日本的分布問題』(2016.8.27)「本人的Y染色體在最近的数據更新后由D1a2變成了D1b2a2熟悉分子人類學的朋友都知道D1b孤立的分布于日本列島,占大和民族的三分之一以上,日本關東地區接近三分之二,國内多次的大樣本研究都歿有在大陸發現過D1b,當我看見這樣的結果實在不敢相信,我堅信我是D系列的,在復旦大學我做過STR検査,結果是D1,微基因开始給我的結論是D1a2,這都是西南地區漢族可見的類型,而這次結果的改變讓我覺得有点詭異,我們雖然可以提出古代的總總假説來解釋,但突然出現一箇有点違反常理的結論,多提出点懷疑總是可以的。我就假定本人的父系祖先來自日本列島,査了一些資料,chenggang兄弟也提供了一些信息,D1b在日本主要爲D1b1,D1b2很少。(D1b1是日本皇室)」

近衞文麿

内閣総理大臣を務めた、近衞文麿(Fumimaro Konoe, 1891-1945)のY染色体は、ハプログループD1b1a2(D-IMS-JST022457)である(注1)。
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近衞文麿は、近衞家の第30代当主。近衞家は藤原姓であるが、血統上は人皇第107代・後陽成天皇(Emperor Goyozei, 1571-1617)の男系12世子孫で、母系の先祖が藤原忠通(Tadamichi Fujiwara, 1097-1164)に連なる家柄。近衞文麿は、八紘一宇の理念を基に、人種差別を撤廃し、白人勢力によるアジアの植民地支配からの解放と大東亜共栄圏建設を目標に掲げ、東亜の平和安定と新秩序の構築に盡力した。内閣総理大臣在任中は民意を結集して大政翼賛会を創設し、その初代総裁を務めた。外交政策では日独伊三国軍事同盟、日ソ不可侵條約を締結するなど、卓越した政治的指導力を発揮。また、枢密院議長や日本放送協会第2代総裁などを歴任した。第79代内閣総理大臣・細川護煕(Morihiro Hosokawa, 1938-  )は、近衞文麿の外孫にあたる。

注1)豊島史俊『古代日本のDNA - 皇室のDNA』(2015.10.1)

Y染色体D1b1a2a系統(Yap+)【日本固有種】

分子時計の推算によれば、ハプログループD1b1a2からハプログループD1b1a2aへは、約1万年前に分岐した系統である。

中田真秀

理化学研究所情報基盤センター協力研究員・中田真秀(Maho Nakata)のY染色体は、ハプログループD1b1a2a(D-P53.2)である(注1)(注2)(注3)。中田真秀のミトコンドリアDNAはこちらを参照。

注3)ISOGG 2017(ver12.162)による表記。原文による表記では「D2a1b1(D-P53.2)」である。

Y染色体D1b1a2b系統(Yap+)【日本固有種】

分子時計の推算によれば、ハプログループD1b1a2からハプログループD1b1a2bへは、約1万年前に分岐した系統である。

Y染色体D1b1a2b1系統(Yap+)【日本固有種】

分子時計の推算によれば、ハプログループD1b1a2bからハプログループD1b1a2b1へは、約7,000年前に分岐した系統である。

Y染色体D1b1a2b1a系統(Yap+)【日本固有種】

分子時計の推算によれば、ハプログループD1b1a2b1からハプログループD1b1a2b1aへは、約4,000年前に分岐した系統である。

崗上虜囚

評論家・崗上虜囚のY染色体は、ハプログループD1b1a2b1a(D-CTS1982, subclade-Z1500)である(注1)。

崗上虜囚の先祖は、岡山県新見市の岸本城主・吉岡道秀で、戒名は「賢休院殿右近道秀清居士」である。

注1)『天皇の遺伝子2』(2018.5.13)

Y染色体D1b1a2b1a1系統(Yap+)【日本固有種】

分子時計の推算によれば、ハプログループD1b1a2b1aからハプログループD1b1a2b1a1へは、約1,000年~1,700年前に分岐した系統である。

源義家

清和源氏の嫡流で鎮守府将軍を相続した源義家(Minamoto no Yoshiie, 1039-1106)のY染色体は、ハプログループD1b1a2b1a1(D-Z1504)である(注1)(注2)
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     (八幡太郎源義家)
DYS 393 390 19 391 385a 385b 426 388 439 389i 392 389ii
Alleles 13 25 17 10 13 17 11 12 12 14 11 31

DYS 458 437 448 Y-GATA-H4 456 438 635        
Alleles 15 14 19 11 15 10 21        

鎮守府将軍は、歴史的には清和源氏のみが独占したものではないが、源義家の祖父・源頼信、父・源頼義、源義家と鎮守府将軍職を相続したことから、源頼信より分流した家系のY-STRは便宜上「Shogun modal」と呼ばれている。鎌倉幕府を開いた源頼朝は、義家の玄孫にあたる。また、義家の弟・源義光の子孫から守護大名の甲斐武田家が出るなど、非常に多くの分流を輩出した(注3)。ハプログループD1b1a2系統のマイクロサテライト最頻値は、日本最多のグループを形成している。これらに属する推定600万人余りの男性は、約1,000年前に共通祖先を持つ人々であることが明らかで、他系統ではこれに並ぶものは存在しない(注4)。

注1)D2a1b(D-CTS107/IMS-JST055457, IMS-JST022457) Shogun Y-STR modal defined by chojae
注2)ISOGG 2017(ver12.50)による表記。原文によるISOGG 2013表記では「D2a1b*(D-IMS-JST022457, subclade-Z1504)」である。

源頼朝

鎌倉幕府を開いた源頼朝(Minamoto no Yoritomo, 1147-1199)を含む清和源氏のY染色体は、ハプログループD1b1a2b1a1(D-Z1504)である(注1)(注2)(注3)。
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        (源頼朝)
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DYS 393 390 19 391 385a 385b 426 388 439 389i 392 389ii
Alleles 13 25 17 10 13 17 11 12 12 14 11 31

源頼朝は、河内源氏の源義朝の三男として生まれ、父・源義朝が平治の乱で敗れると伊豆国へ配流されたが、やがて配流地の伊豆で以仁王の令旨を受け、北條時政、北條義時などの坂東武士らと平氏打倒の兵を挙げ、鎌倉を本拠として源義仲や平氏を倒し諸国に守護と地頭を配して力を強め、奥州藤原氏を滅ぼして全国を平定した。建久3年(1192)に征夷大将軍に任じられ鎌倉に幕府を開いた。

注1)D2a1b(D-CTS107/IMS-JST055457, IMS-JST022457) Shogun Y-STR modal defined by chojae
注2)ISOGG 2017(ver12.50)による表記。原文によるISOGG 2013表記では「D2a1b*(D-IMS-JST022457, subclade-Z1504)」である。

武田信玄

甲斐国守護・武田信玄(Harunobu Takeda, 1521-1573)のY染色体は、ハプログループD1b1a2b1a1(D-Z1504)である(注1)。
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佐竹敬久

秋田県知事・佐竹敬久(Norihisa Satake, 1947- )のY染色体は、ハプログループD1b1a2b1a1(D-Z1504)であると推定されている(注1)。
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佐竹敬久の父方曾祖父・和井内貞行(Sadayuki Wainai, 1858-1922)は、南部藩領陸奥国鹿角郡毛馬内村(現 秋田県鹿角市)の出身。和井内家(Wainai clan)は、南部藩の重臣で毛馬内陣屋(柏崎新城)城代・桜庭氏の筆頭家老職を代々務めた家柄。和井内貞行は、秋田県十和田湖開発の先駆者として著名。現在は「和井内神社」に神として奉られている。

和井内氏の始祖は『刈屋高昌院由来書』によると閉伊田鎖氏の庶子・上野介高義の三男・高敏が陸奥国閉伊郡和井内(現 岩手県宮古市和井内)に分知され、入領した高敏の家系が和井内館を築いたと云われている。和井内氏は、戦国時代中期に三戸南部氏の支配下に組み込まれ『茂市刈屋一揆の由来』によると天正年間(1573-1592)初期、三戸南部氏が田鎖氏討伐の為、家臣・桜庭安房守を閉伊郡に差し向けた際、刈屋・和井内氏はこれに同調して田鎖方の茂市館を攻撃したとされる。また慶長5年(1600)に起きた「和賀一揆」では南部勢に加勢し「二百石・和井内三平(光積)此下七人」が(『岩崎御出陣人数定』)が岩崎城に出陣している。

田鎖氏(Takusari clan)はもと閉伊氏(Hei clan)と云い、陸奥国の武家で本姓は清和源氏。鎌倉時代から戦国時代にかけて、陸奥国閉伊郡(現 岩手県宮古市)を本貫として閉伊氏を称した。鎌倉時代の閉伊氏は鎌倉御家人であり、閉伊十郎は北条貞時から由比ヶ浜に宅地を与えられている。 また正応から元応にかけて、閉伊光員の遺領を巡って子の閉伊光頼と閉伊員連が争った。この裁定は北条高時が鎌倉で行い、光頼には呂木(老木)、閉河(閉伊川)、多久佐利(田鎖)、小山田、閉崎(閉伊崎)、赤前の地の領有を、員連には鍬崎(鍬ヶ崎)、笠間の領有を認めている。閉伊氏の後裔には、田鎖・刈屋・和井内・茂市・長沢・花輪・高浜・根市・中村・赤前・重茂・大沢・蟇目・田代・山崎・荒川・近内・小山田・江刈内・箱石・大川などの諸氏があり、閉伊郡各地の地頭として、領内の地名を氏として勢力を拡大した。建武の新政で鎌倉幕府が崩壊すると、光頼の子、閉伊親光は陸奥国司の北畠顕家に従い所領を安堵された。南北朝時代になると閉伊氏一族は南朝側である顕家率いる奥州武士団に加わり、豊島河原合戦、青野ヶ原の戦いで足利尊氏らの軍勢を打ち破るが、石津の戦いに敗れ敗走する。室町幕府の成立後、閉伊三郎に宛てて奥州総大将に任命された石塔義房から軍勢催促状が送られている。 これは閉伊氏が石塔義房の進める奥州勢力再編に従った事を示している。 その後閉伊氏は新たに居城となる田鎖城を築き、閉伊氏嫡流は田鎖氏を名乗るようになった。田鎖城は永和年間の築城とされる(『日本城郭体系2』)。

閉伊氏は、源為朝(鎮西八郎)の四男・嶋為頼が奥州閉伊郡半地の地頭に補されたことに始まる家柄。保元の乱で敗北した源為朝が、配流された伊豆で男子を儲けた。これがのちに閉伊氏の家祖となる、島為頼で、為頼は源頼朝に従い、その命で佐々木秀義の四男・高綱の猶子(相続を伴わない養子)となり、佐々木十郎行光を名乗り佐々木氏を称して四つ目結を家紋とした。源頼朝が奥州合戦で奥州藤原氏を滅ぼすと、行光は閉伊郡、気仙郡の統治を任せられる。建久年間、適地を求め気仙から閉伊に移った行光は、領地の名を取り、閉伊頼基と名乗った。これが閉伊氏の始祖で、閉伊川沿岸で勢力を拡大。多くの地侍を従へ「閉伊源氏」と呼ばれた。

注1)『佐竹秋田県知事と皇室の関係』(2015.6.4) 記事の中で、日本固有種のハプログループD1bである可能性に言及されている。

舜天王

琉球国舜天王朝の太祖・舜天王(Shunten-ou, しゅんてん-おう, 1166-1237)のY染色体は、ハプログループD1b1(D-M116.1)であると推定されている(注1)。
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    (鎮西八郎源為朝)        (舜天王)              (尚泰王)

2005年の研究調査では、沖縄県の男性45人中25人(55.6%)がD-M55に属しており、その内訳はD-M55(xM116) 2/45 = 4.4%、D-M116(xM125) 14/45 = 31.1%、D-M125(xP42) 7/45 = 15.6%、D-P42 2/45 = 4.4%であることが明らかとなった。正確を期すためにより多くの子孫たちによる遺伝子調査の参加が期待されている。

舜天王は、保元の乱で伊豆に流刑となった源為朝(鎮西八郎)の子で、『中山世鑑』によれば、為朝の船が嵐に遭い、沖縄本島の今帰仁に漂着し、その地の豪族・大里按司の妹と結婚し、生まれた子を「尊敦(後の舜天王)」と名付けた。尊敦は15歳で浦添按司となり、琉球の逆賊・利勇を征伐したことにより、琉球諸侯の推挙を受けて中山王となった。舜天王朝は3代目の義本王の時に一旦滅んだが、後に第一尚氏が倒れたあと新王統を開いた第二尚氏の始祖・尚円王は、『中山世譜』など正史によると舜天王統の義本王朝の七世孫であると記されている。『中山世鑑』を編纂した羽地朝秀は、摂政就任後の1673年3月の仕置書(令達及び意見を記し置きした書)で、琉球の人々の祖先は、かつて日本から渡来してきたのであり、また有形無形の名詞はよく通じるが、話し言葉が日本と相違しているのは、遠国のため交通が長い間途絶えていたからであると語り、為朝が王家の祖先だというだけでなく琉球の人々の祖先が日本からの移住者であると述べている(注2)(注3)(注4)。

注1)Hammer MF1, Karafet TM, Park H, Omoto K, Harihara S, Stoneking M, Horai S."Dual origins of the Japanese: common ground for hunter-gatherer and farmer Y chromosomes."(2005.11.18)
注2)Thomas Pellard 『日琉祖語の分岐年代』京都大学(2012.2.19)
注4)真境名安興『真境名安興全集』第一巻19頁参照。元の文は「「此国人生初は、日本より為レ渡儀疑無二御座一候。然れば末世の今に、天地山川五形五倫鳥獣草木の名に至る迄皆通達せり。雖レ然言葉の余相違は遠国の上久敷融通為レ絶故也」。なお、2005年以降の分子生物学の研究で沖縄県民と九州以北の本土住民とは、同じY染色体ハプログループに属する祖先を持つことが明らかになっている。高宮広士札幌大学教授が、沖縄の島々に人間が適応できたのは縄文中期後半から後期以降である為、10世紀から12世紀頃に農耕をする人々が九州から沖縄に移住したと指摘(朝日新聞 2010年4月16日)するように、考古学などの研究も含めて南西諸島の住民の先祖は、九州南部と共通する人々を主体として構成されたものであるとされている。また『日本書紀』、『古事記』に記されているように、皇室の祖先も九州南部の宮崎県を発祥とする人々であったことが指摘されている。
注5)『全人類系図』(2017.4.4) Most of Japanese males share their paternal lineages with the Imperial Family. Poznik et al. (2016) have reported that the males in the JPT (Japanese in Tokyo, Japan) sample of the 1000 Genomes Project are :皇別D1b-M55(36%)20/56, 神別O1b2-P49(32%)18/56, 諸蕃O2-M122(18%)10/56, 地祇C1a1-M8(7.1%)4/56, 諸系O1a-M119(3.6%)2/56, 諸系C2-M217(3.6%)2/56

佐々木秀義

平安時代末期の武将・佐々木秀義(Hideyoshi Sasaki, 1112-1184)のY染色体は、ハプログループD1b1a2b1a1(D-Z1504)であると推定される(注1)(注2)。
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      (佐々木秀義)
13歳の時に、源為義(1096-1156)の猶子となり、成人して為義の娘と婚した。実父は、近江国蒲生郡佐々木庄の領主・佐々木為俊、母は奥州安倍宗任(1032-1108)の娘。平治合戦の時、源義朝に従い敗れて所領を追われた。母方の従兄弟である奥州 藤原秀衡(  -1187)を頼って落延びる途中、秀義の武勇に惚れ込んだ相模国澁谷庄の領主・澁谷重国に引き留められ、食客した。源頼朝の挙兵の時に、息子等4人を差し向け忠義を表した。のち本貫を安堵されるも討死し、近江権守を追贈された(注3)。

平治合戦で領国を追われた時、佐々木秀義自身は、奥州まで落ち延びなかったが、一族郎党の多くは奥州藤原氏を頼って落ち延びた。現在でも秋田、青森、岩手、宮城に佐々木姓が多いのはこのためであると言われる。

注2)EastAsiaDNA "Y-DNA of Miyagi-Sasaki"(2016.9.24)
注3)佐々木秀義の母(安倍宗任の娘)の姉が藤原基衡(  -1157)に嫁ぎ、生まれたのが藤原秀衡(  -1187)であるため、佐々木秀義の母方の従兄弟が藤原秀衡となる。

新田義貞

南北朝時代の武将・新田義貞(Yoshisada Nitta, 1300-1338)のY染色体は、ハプログループD1b1a2b1a1(D-Z1504)である(注1)(注2)。
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これは、新田義貞の子孫複数名から得られたサンプルに基づく解析結果である。
DYS 393 390 19 391 385a 385b 426 388 439 389i 392 389ii
Alleles 13 25 17 10 13 17 11 12 13 14 11 31

DYS 458 459a 459b 455 454 447 437 448 449 464a 464b 464c
Alleles 16 9 9 11 12 24 14 19 30 16 16 18

注2)23andMe"DNA RELATIVES"

大庭景義

平安時代末期の相模国の武将・大庭景義(Kageyoshi Ohba, 1128-1210)のY染色体は、ハプログループD1b1a2b1a1i(D-Z40687, subclade-BY13985)である(注1)。大庭景義は、平良文の末裔で、鎌倉景政の曾孫にあたる(注2)。
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DYS 393 390 19 391 385a 385b 426 388 439 389i 392 389ii
Alleles 13 25 17 10 13 16 11 12 12 14 11 31

DYS 458 459a 459b 455 454 447 437 448 449 464a 464b 464c
Alleles 15 9 9 11 12 25 14 19 31 16 16 19

注1)Family Tree DNA "Y-DNA D Haplogroup"
注2)『新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集』

安倍晋三

総理大臣・安倍晋三(Shinzo Abe, 1954-   )のY染色体は、ハプログループD1b1a2b1a1(D-Z1504)であると推定されている(注3)(注4)。正確を期すため本人による遺伝子検査が期待されている。
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安倍晋三の先祖は、奥州安倍頼良(Yoriyoshi Abe,  -1057)で、頼良の三男・安倍宗任(Muneto Abe, 1032-1108)は、合戦で敗れてのち九州大宰府へ配流された。安倍家は、この安倍宗任を初代とする家柄。宗任の三男・安倍季任(Sueto Abe)は肥前・松浦氏に仕え 、安倍季任の子が「松浦(Matsuura)」の姓と「松浦梶(Matsuura-Kaji)」の家紋の使用を許されて松浦実任(Saneto Matsuura)と名乗った。松浦実任の曾孫・松浦高俊(Takatoshi Matsuura)は、のちに平清盛(Taira no Kiyomori, 1118-1181)に仕えた。松浦高俊の娘は、平知忠(Taira no Tomotada)と結婚し、安倍知任(Tomoto Abe)を生んだ。平知忠は、清盛の四男・平知盛(Taira no Tomomori, 1152-1185)の三男にあたるため、安倍知任以降の世代の安倍家の男性たちは、平知忠のY染色体を継承してきたと考えられている(注5)。第39代当主・安倍彪助(Hyosuke Abe)は、椋木家(Mukunoki clan)からの婿養子であるが、椋木彪助の実祖父は安倍家から椋木家へ 婿養子として入った人物であるため、安倍家と椋木家のY染色体は同じであり、彪助は安倍家に養子に入る形で戻ってきたことになると考えられている(注1)(注4)(注5)(注6)。

注1)野上忠興『安倍晋三のDNA』講談社(2004.4.1)
注3)5ch"Y-dna of Shinzo Abe"(2017.10.5)
注5)『平家物語』、『百練抄』、『前太平記』、『歴代鎮西要略』、『筑紫軍記』、『長州安倍氏系図』、『安倍一族』盛岡タイムス(1989)による。


modoru.jpg susumu.jpg

  • 最終更新:2018-10-10 09:32:20

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