Y染色体O1b系統

Y染色体ハプログループO1b系統

O1b系統は、江蘇省から福建省にかけて分布しており、日本へは中国南部から渡来したと考えられている(注1)(注2)(注3)。

注1)ISOGG Tree 2017(ver.12.73)に基づく系統名。原文のISOGG 2009による旧表記では「O2b(O-M268)」である。

binWord-blogの執筆者

『binWord-blog』の執筆者のY染色体は、ハプログループO1b(O-M268)である(注1)。2005年4月に開始されたナショナル・ジオグラフィック協会の「GENOGRAPHIC PROJECT(Geno1.0)」参加者で、結果をブログに公表した人物としては日本初(2005年6月)にあたる。
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米中毒本館の執筆者

ブログ『米中毒本館』の執筆者(1964-  )のY染色体は、ハプログループO1b(O-M268)である(注1)。執筆者の父系祖先は、兵庫県の由緒ある農家の家柄。執筆者は、中島聡の執筆によるブログ『Life is beautiful』を見て、Genographic Projectの存在を知り、検査キットを取り寄せて解析を行った。
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注2)『下戸の系譜(1) アセトアルデヒド分解酵素』(2005.9.4)「私の先祖は父方・母方ともに兵庫県の真ん中あたりで代々百姓をしていたらしい」

初心者シーカヤッカーへの道の執筆者

ブログ『初心者シーカヤッカーへの道』の執筆者のY染色体は、ハプログループO1b(O-M268)である(注1)。
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DYS 393 390 19 391 385a 385b 426 388 439 389i 392
Alleles 13 23 15 10 10 18 11 12 12 14 14


漫筆録の執筆者

ブログ『漫筆録』の執筆者のY染色体は、ハプログループO1b(O-M268)である(注1)。
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注1)『ついに結果が出た』(2010.5.23)

もちまさ

ブロガー・もちまさのY染色体は、ハプログループO1b(O-M268)である(注1)。


duy

ブログ『MIND THE GAP』の執筆者・duyのY染色体は、ハプログループO1b(O-M268)である(注1)。
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duyは、ロンドン在住を経て、2012年7月帰国。duyがこれまで親から聞かされていた話やduy家の名字にまつわる伝承などを総合すると、「duy家の家系は奈良・平安時代頃に朝鮮半島から渡ってきた渡来人が先祖である可能性がある」とのこと。Genographic Projectでの検査により、duy家の出自に関しては、「ハプログループO1b(O-M268)系統であることは分かったので先祖が渡来人である可能性は否定されなかったが、伝承の通り平安時代頃に朝鮮から来たのか、あるいはもともと弥生時代に中国大陸か朝鮮半島の辺りから渡ってきた人々の子孫なのか」という部分に関しては判明しなかった(注2)。

注2)2011年当時の「Genographic Project(Geno 1.0)」の分析精度の問題で、2012年秋以降の「Geno2.0」では、分析精度が格段に上がりこの問題点は解消されている。

THIS IS MY AMERICANAの執筆者

ブログ『THIS IS MY AMERICANA』の執筆者のY染色体は、ハプログループO1b(O-M268)である(注1)。

注1)『遺伝子と自分(4)』(2014.1.10)

Y染色体ハプログループO1b1a1a系統

嘉隆帝(阮福暎)

ベトナム阮朝の初代皇帝(在位:1802-1820)嘉隆帝(阮福暎)のY染色体は、ハプログループO1b1a1a(O-M95)である(注1)(注2)。嘉隆帝は滅亡した広南阮氏の末裔で、幾度も敗北しながら遂に故地を回復し阮王朝を開いた。
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         (嘉隆帝)
注1)"DNA of Nguyen-Phuoc"(Ysearch)
注2)ISOGG Tree(ver.10.79)による表記。原文のISOGG 2009による旧表記では「O2a」である。

バクサントス

フィリピン人・バクサントス(bacsantos)のY染色体は、O1b1a1a1a1a1a1a*(O-F923, subclade-PF3188)である(注1)。バクサントスの父はフィリピン・ブラカン州マロロスの出身。
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注1)The Genographic Project 2.0 "OUR STORY"

朱子

中国宋代の儒学者で朱子学の太祖・朱子(Zhu Xi, 1130-1200)のY染色体は、ハプログループO1b1a1a1a1a2(O-F2890)である(注1)(注2)。これは、現在アメリカに在住している朱熹(朱子)の26世孫の男性ら複数名の子孫から得られたサンプルに基づくものである。この結果に伴って、朱姓で父系を継承してきた明朝の歴代皇帝も皆ハプログループO1b1a1a1a1a2(O-F2890)であろうと推定されている(注3)(注4)。
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           (朱子)

DYS 393 390 19 391 385a 385b 426 388 439 389i 392 389ii
Alleles 13 25 16 11 13 18 11 12 12 14 13 30

DYS 458 459a 459b 455 454 447 437 448 449 464a 464b 464c
Alleles 18 9 9 11 11 29 15 18 28 12 12 15

注2)Zhu Xi, the most influential Neo-Confucian scholar and philosopher in Chinese history, may have belonged to Y-DNA haplogroup Haplogroup O-M95 (O2a1) according to the DNA test of one documented descendant. This finding is significant since Zhu Xi was allegedly a distant cousin several times removed of Zhu Yuanzhang, founding emperor and ancestor of China's Ming Dynasty according to Zhu朱 (surname) records. Given the sample size, however, this result cannot be regarded as conclusive and further testing of other documented descendants of Zhu Xi朱子 is necessary to help confirm or refute this finding. Furthermore, testing of documented descendants of Zhu Yuanzhang would help confirm whether there is in fact a recent, common male ancestry between Zhu Xi and the Emperors of the Ming Dynasty.
注4)ISOGG Tree(ver.11.316)による表記。原文のISOGG 2014による旧表記では「O2a1a(O-M111*, subclade-F2890)」である。

廣西省靈山姚氏

中国廣西省欽州市靈山縣・姚氏のY染色体は、ハプログループO1b1a1a1b(O-F789/M1283, subclade-F1982)である(注1)。これは、廣西省靈山姚氏の男性複数名から得られたデータに基づく(注2)。

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picture from Wikipedia

廣西省靈山姚氏は、中国最古の姓「姚」を継承していると云われ、その先祖は、中国神話に登場する三皇五帝の一人である中国古代の君主・(姚重華)であると伝えられている。中国神話では、舜は顓頊の七世孫とされる(注3)。

注1)分子人類學論壇『廣西靈山姚姓,O1b1a1b1(O-F789)』(2017.1.27)
注2)ISOGG Tree 2017(ver.12.31)による表記。原文による旧表記では「O1b1a1b1(O-F789, subclade-F1982)」である。

Y染色体ハプログループO1b1a2系統

尹莘達

高麗開国の功臣である坡平尹氏の始祖・尹莘達(윤신달, 893-973)のY染色体は、ハプログループO1b1a2(O-F3016)である(注1)。『龍淵寶鑑』によれば、尹莘達は京畿道坡州波平山の麓の出身である。
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          (尹瓘)

DYS 393 390 19 391 385a 385b 426 388 439 389i 392 389ii
Alleles 13 23 15 10 13 17 11 12 11 12 13 28

尹莘達の玄孫に、高麗将軍・尹瓘(Yun Kwan,  -1111)がいる。坡平尹氏は高麗開国の功臣であるにも関わらず、尹莘達以前の家系は不詳である。尹瓘は、文宗の時に科挙に合格し、粛宗の時に宰相となった。11世紀末から12世紀初めにかけて女真族と高麗との軍事的衝突が目だつようになり、1107年に元帥として大軍を率いて女真族の居地である「咸興」平野一帯を占領、咸州など9城を築いた。翌年その功により門下侍中という要職に任命された。尹瓘の代になって、彼の名声が高まり、尹瓘を中心に高祖父の代までの記録を整えたと言われる。彼の母方は新羅・敬順王の孫娘である。

注2)ISOGG Tree(ver.10.92)による表記。原文のISOGG 2014による旧表記では「O1b1b(O-F3016)」である。

Y染色体ハプログループO1b1a2a系統

曹操

中国三国時代の魏の曹操(155-220)のY染色体は、現代の中国人の中では稀なタイプであるハプログループO1b1a2a(O-M268, subclade-F3036)に属していることが解析された(注1)(注2)(注3)。
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           (曹操)

注2)Dienekes' Anthropology Blog"Y-chromosome of Emperor Cao Cao: O2"
注3)Ancient DNA of Emperor CAO Cao's granduncle matches those of his present descendants: a commentary on present Y chromosomes reveal the ancestry of Emperor CAO Cao of 1800 years ago.
注4)ISOGG Tree 2017 (ver.12.50)による表記。原文のISOGG 2014による旧表記では「O2*(O-M268*, subclade-F3036)」である。

曹大光

台湾出身でカナダ・バンクーバー在住の評論家・曹大光(Tomas Tso, 本名:Tah-Kwang Tso)のY染色体は、ハプログループO1b1a2a(O-F993)である(注1)(注2)(注3)(注4)(注5)。
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         (曹大光)
注1)The Genographic Project 2.0 "OUR STORY"
注3)"Tomas Tso"(facebook)
注4)"Tomas Tso"(Google+)
注5)ISOGG Tree(ver.11.316)による表記。原文のISOGG 2014による旧表記では「O2*(O-M268*, subclade-F993)」である。

高向漢人玄理

飛鳥時代の渡来系の学者・高向漢人玄理(たかむこのあやひとくろまろ, 別名:高向博士黒麻呂)のY染色体は、ハプログループO1b1a2a(O-F993)であると推定されている(注1)。

大化2年(646)2月まで、朝鮮半島南部の任那は高麗・百済・新羅とともに日本へ朝貢していたが、日本は同年9月に、高向漢人玄理を新羅へ派遣し、これまでの「任那の調」の代行納入を新羅に求めることを廃止して、人質として金春秋(後の新羅・第29代 武烈王)を日本へ送るよう求めた。これを受けて金春秋は、人質として来日した(注3)。
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注1)The Takamuko clan of Japan claims agnatic descent from Cao Pi, who was the first Emperor of the state of "Cao Wei" and the eldest son of "Cao Cao". This suggests that the Takamuko clan also belongs to Y-DNA haplogroup "Haplogroup O-P31 (Y-DNA)". The Takamuko clan is most famous for Takamuko no Kuromaro.
注2)ISOGG Tree(ver.11.316)による表記。原文のISOGG 2014による旧表記では「O2*(O-M268*, subclade-F993)」である。
注3)吉田孝 『日本の誕生』 岩波書店〈岩波新書〉、1997年6月、101頁、ISBN 4-00-430510-1

Y染色体ハプログループO1b2系統 【弥生系】

遺伝子検査1項目161円の23andMeまとめブログの執筆者

『遺伝子検査1項目161円の23andMeまとめブログ』の執筆者のY染色体は、ハプログループO1b2(O-P49)である(注1)(注2)。

注2)ISOGG Tree(ver.10.79)による表記。原文のISOGG 2014による旧表記では「O2b(O-P49)」である。

Y染色体ハプログループO1b2a1a系統 【弥生系】

飛騨人

飛騨人(現 岐阜県北部の人)の父系のルーツは、弥生系が多数(59%)である(注1)。これは、筑波大学名誉教授の住斉(理論物理学者)、徳島大学准教授の佐藤陽一(人類遺伝学)らが、明治・大正時代以前から飛騨地域3市1村に血縁を持つ、378人の男性を対象にY染色体ハプログループを解析した結果による(注2)。
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            (飛騨国)

天児屋根命

天児屋根命(Amenokoyane-no-mikoto)のY染色体は、ハプログループO1b2a1a(O-F1204)であると推定される。これは、天児屋根命の子孫複数名から得られたサンプルの解析結果などによるものである(注1)(注2)。天児屋根命の墓(児屋根塚古墳)は、国の史跡に指定されている(注3)(注4)(注5)。
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DYS 393 390 19 391 385a 385b 426 388 439 389i 392 389ii
Alleles 13 22 15 10 10 18 11 12 12 14 13 30

ヒエログリフとの対応

アメン(Amen、古代ギリシア語: Ἄμμων, Ἅμμων、Ámmōn, Hámmōn)は、古代エジプトの太陽神を示し、アモン(Ammon)、アムン(Amun)とも表記され、またその名は「隠されたもの」を意味する。天児屋根命(Amenokoyane-no-mikoto)は、太陽神が天岩戸に隠れた時に祝詞を奏上し、世界が再び光を取り戻すのに貢献したと言われる。

注1)FTDNA"Dna of Amenokoyane"
注2)Ysearch"FUJIWARA clan's dna"
注4)ISOGG Tree(ver.11.70)による表記。原文のISOGG 2014による旧表記では「O2b1a(O-47z, subclade-CTS10145)」であるが、これは子孫から得られたデータによるため、実際には一段階遡った「O-F1204」であったと推定される。

宇佐津臣命

宇佐津臣命のY染色体は、ハプログループO1b2a1a(O-F1204)である(注1)。これは、宇佐津臣命の男系子孫から得られたサンプルの解析結果に基づく。
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picture from Wikipedia
宇佐津臣命は、父が天種子命(天多祢伎命)、母が宇佐津姫命と言われる(注2)。


阿武山古墳の被葬者

阿武山古墳の被葬者のY染色体は、ハプログループO1b2a1a1(O-CTS10145, CTS11723)であると推定される(注1)(注2)。
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DYS 393 390 19 391 385a 385b 426 388 439 389i 392 389ii
Alleles 13 22 15 10 10 20 11 12 12 14 13 30

阿武山古墳は、阿武山(標高281.1m)の山腹の大阪府高槻市奈佐原から、茨木市安威に跨った地域に位置し、昭和初期に地下から古代の貴人の埋葬遺体が発掘された。現在は国の史跡に指定されている(注3)(注4)。

注2)Ysearch"DNA of Fujiwara clan"
注3)文化庁『阿武山古墳』(国指定文化財データベース)
注4)阿武山古墳は、1934年に京都大学の地震観測施設の建設中に、土を掘り下げていて瓦や巨石につきあたったことから偶然に発見された古墳。浅い溝で直径約82mの円形の墓域が形成されていた。墓室は墓域中心の地表のすぐ下にあり、切石で組まれて内側を漆喰で塗り固められており、上を瓦で覆われ地表と同じ高さになるように埋め戻されていた。内部には棺台があり、その上に漆で布を何層にも固めて作られ外を黒漆・内部を赤漆で塗られた「夾紵棺(きょうちょかん)」が日本で初めて発見された。棺の中には、60歳前後の男性の、肉や毛髪、衣装も残存した状態のミイラ化した遺骨がほぼ完全に残っており、鏡や剣、玉などは副葬されていなかったが、ガラス玉を編んで作った玉枕のほか、遺体が錦を身にまとっていたこと、胸から顔面、頭にかけて金の糸がたくさん散らばっていたことが確かめられている。

藤原清衡

平安時代後期の武将で、平泉に中尊寺を開基した奥州藤原氏の祖・藤原清衡(Fujiwara no Kiyohira, 1056-1128)のY染色体は、ハプログループO1b2a1a1(O-CTS10145, CTS11723)である(注1)。これは、奥州藤原氏四代のミイラに対する骨格の調査や、子孫複数名から得られたサンプルの解析結果などによる(注2)。藤原清衡の血液型はAB型。
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            (藤原清衡)

DYS 393 390 19 391 385a 385b 426 388 439 389i 392 389ii
Alleles 13 22 15 10 10 20 11 12 12 14 13 30

DYS 458 437 448 Y-GATA-H4 456 438 635        
Alleles 18 14 18 12 15 13 20        

奥州藤原氏は、藤原清衡(1056-1128)を初代として、二代藤原基衡(  -1157)、三代藤原秀衡(  -1187)、四代藤原泰衡(  -1189)と続き栄華を極めた。

奥州藤原氏が藤原氏と無関係であるという誤解について

『日本の苗字七千傑(注3)』という個人サイトによれば、後漢霊帝の末裔で、応神天皇の時代日本に帰化した阿知使主の子孫にあたる坂上田村麿のさらに子孫が、奥州藤原氏の開祖・藤原清衡の祖父である藤原頼遠で、この藤原頼遠は藤原正頼の婿養子となって藤原姓を継いだかのような説を載せるが、姓氏調査の基本図書のひとつで、南北朝時代から室町時代初期に洞院公定の撰によって完成した『尊卑分脈』(注4)や、塙保己一が古書の散逸を危惧し江戸幕府や諸大名・寺社・公家などの協力を得て、収集・編纂した『群書類従系図部集』(注5)などの信頼できる一次史料には、奥州藤原氏が坂上氏からの養子をむかえたという記載は一切なく男系男子が連綿と家系を相続している(注6)(注7)。

注2)"Kiyohira Fujiwara's dna"(Ysearch)
注4)『新訂増補国史大系・尊卑分脉 第2篇』吉川弘文館 黒板勝美、国史大系編修会(編)ISBN 4642003630、386-387頁、藤原頼遠の項目参照。
注5)『群書系図部集 第5』塙保己一続群書類従完成会(編)、125頁、藤原秀郷流「結城系図」藤原頼遠の項目参照。
注6)『尊卑分脈』では、藤原頼遠の項目の注記は「下総國住人 五郡太大夫(異本 五郎大夫)」とあり、『群書系図部集 第5』では、藤原頼遠の項目の注記は「五郎」とあるのみである。
注7)ISOGG Tree(ver.11.70)による表記。原文のISOGG 2014による旧表記では「O2b1a(O-47z, subclade-CTS10145)」である。

杉村和一

山口県出身の杉村和一(Kazuichi Sugimura, 1888-  )のY染色体は、ハプログループO1b2a1a1(O-CTS11723)である(注1)(注2)。

DYS 393 390 19 391 385a 385b 426 388 439 389i 392 389ii
Alleles 13 22 15 10 10 19 11 12 12 13 13 31

注1)FTDNA"JAPAN DNA Project - Y-DNA"(Kit Number:45063, Sugimura)
注2)FTDNA"O Y-Haplogroup - Y-DNA"(Kit Number:45063, Sugimura)

上田晋也

芸能人・上田晋也(Shin-ya Ueda, 1970-   )のY染色体は、ハプログループO1b(O-M268)である。上田晋也は、熊本県熊本市南区の出身(注1)。上田晋也のミトコンドリアDNAはこちらを参照。
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         (上田晋也)

上田晋也との系譜関係は明瞭ではないが、肥後上田氏は、肥後国球磨郡(現 熊本県人吉市)を本拠とする、藤原為憲流の相良氏の一族。相良氏は、藤原周頼が遠江国相良(現 静岡県牧之原市相良)を領して相良氏を称したのに始まる。相良氏は鎌倉幕府の御家人となり、肥後国多良木の地を与えられて肥後国に転じた。その後、相良家の一族が肥後国人吉荘の地頭となり、多良木の上相良と人吉の下相良に別れた。戦国時代には下相良家が勢力を拡大し、江戸時代には肥後国人吉藩主2万2千石を有している(注3)。肥後上田氏は相良氏の支流にあたる為、この系譜が正しければ上田氏のY染色体は、ハプログループO1b2a1a1(O-CTS10145, CTS11723)である可能性が高いと推定される(注4)。

注2)ISOGG Tree(ver.10.79)による表記。原文のISOGG 2011による旧表記では「O2(O-M268)」である。
注3)名前の由来『肥後上田氏』(2016.8.19)
注4)藤原為憲流の相良氏の一族であったとする前提に基づく。

セルジオ・志村

日系人・セルジオ・志村(Sergio Shimura)のY染色体は、ハプログループO1b2a1a1(O-CTS11723)である(注1)(注2)。

DYS 393 390 19 391 385a 385b 426 388 439 389i 392 389ii
Alleles 13 22 15 10 10 20 11 12 12 14 13 30

注1)FTDNA"JAPAN DNA Project - Y-DNA"(Kit Number:N93206, Shimura)
注2)FTDNA"O Y-Haplogroup - Y-DNA"(Kit Number:N93206, Shimura)

ロビーナ・安土

日系人・ロビーナ・安土(Sir Robina Atsuchi)のY染色体は、ハプログループO1b2a1a1(O-CTS11723)である(注1)(注2)。

DYS 393 390 19 391 385a 385b 426 388 439 389i 392 389ii
Alleles 13 22 15 10 10 20 11 12 12 14 13 30

注1)FTDNA"JAPAN DNA Project - Y-DNA"(Kit Number:N109688, Atsuchi)
注2)FTDNA"O Y-Haplogroup - Y-DNA"(Kit Number:N109688, Atsuchi)

茂野貞夫・茂野健

元俳優で、タトゥーデザイナー、エレキギターリスト・茂野健のY染色体は、ハプログループO1b2a1a1(O-CTS713)である(注1)(注2)。

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        (茂野貞夫)           (茂野健)

DYS 393 390 19 391 385a 385b 426 388 439 389i 392 389ii
Alleles 13 22 15 10 10 19 11 12 12 13 13 28

この結果に基づき茂野健の父・茂野貞夫のY染色体もハプログループO1b2a1a1(O-CTS713)であることが明らかとなった。茂野貞夫は、元全日本社会人ボクシング選手権ウエルター級チャンピオンである(注3)。茂野健の血液型はO型で、父祖は新潟県出身(注4)(注5)(注6)(注7)。茂野貞夫の父の本姓は明らかにされていないが、DNA解析の結果から、藤原氏に関連する氏族につながる可能性が指摘されている。

注1)『茂野健』(facebook)
注2)FTDNA"O Y-Haplogroup(O1b2a1, O-CTS713)"(kit number:398355, Shigeno)
注3)PROFILE「父はそのおかげで僅かな期間で全日本社会人ボクシング選手権において、第8代ウエルター級チャンピオン(パンアメリカン航空所属)、第10代ウエルター級チャンピオン(東京 笹崎ジム所属)、第11代ウエルター級チャンピオン(東京 笹崎ジム所属)と、3回ものチャンピオンに輝く栄誉を獲得する事が出来ました。 そして現役引退後は、当時、日本アパレル界の重鎮でおられた日本メンズファッション協会最高顧問、VAN JACKET社長・故石津謙介氏が後援会長を務められる、東京の名門ボクシングジム、笹崎ボクシングジムでトレーナーとして勤務し続けました。父のトレーナー時代の後輩、教え子は、ボクシング殿堂入りを果たした世界チャンピオン、ファイティング原田氏(日本プロボクシング協会最高顧問)、そして全日本一位まで上り詰めた後、人気絶頂のコメディアン・由利とおる氏に師事されプロのコメディアンとして活躍されておられた、たこ八郎氏(齋藤清作氏)などです」
注4)『茂野健』(ギタリスト)
注6)PROFILE「(父は)新潟の商家の私生児として生まれたが故に、まだ物心付く前に東京の(中略)豆腐屋(である茂野家)へ養子に出される事となり、大変孤独で厳しい幼少期を送った(中略)父は、日米の国籍を越え(中略)(養父であるアメリカ空軍・ラッセル・C・ジャクソン大佐と)不思議な縁と愛情に結ばれる事で、まさに人生を大きく変化させるミラクルなチャンスに出会えた」
注7)ISOGG Tree(ver.11.70)による表記。原文のISOGG 2014による旧表記では「O2b(O-P49, CTS713)」である。

申叔舟(実質上のハングルの作者の一人)

朝鮮・世宗の時代、『訓民正音』の創製に貢献し、博学で日本や琉球の地理・歴史・官職・社会制度にも詳しく『海東諸國紀』を著した申叔舟(1417-1475)のY染色体は、ハプログループO1b2a1a1(O-CTS10145, CTS11723)である(注1)。これは、宜寧申氏の子孫・トニー・シン(Tony Shin)ら複数名から得られたデータに基づくものである(注2)(注3)。O1b2a1a(O-CTS10145, CTS11723)系統は、朝鮮半島では少なく、日本列島に多くみられる系統であるが、申叔舟の本貫である高靈申氏に限っては顕著にみられる(注4)。
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        (申叔舟)

DYS 393 390 19 391 385a 385b 426 388 439 389i 392 389ii
Alleles 13 22 15 10 10 20 11 12 12 14 13 30

日本の仮名文字(カタカナ/ひらがな)より600年遅れて、パスパ文字、契丹文字を基にして作られた朝鮮の「諺文(韓字/ハングル)」は、 現在の韓国では公式には「諺文(ハングル)を定義した『訓民正音』は世宗王 一人の著作物である」とされている。しかし、実際には同書の「後序」で鄭麟趾が名前を挙げている集賢殿の学士たちの作成であるとの見方が強く、申叔舟もその一人に含まれている。『訓民正音』と対になっている『東国正韻』の序文は申叔舟が書いており、これらの作業の中心的人物であったことが窺える。 申叔舟が、1471年に著した『海東諸國紀』の日本の国俗の説明文には「男女となく皆その国字を習う。国字は『かたかな』と号す」と書かれている点からカタカナの字形がハングルに与えた影響が注目される。 彼は世祖のときに始まり成宗の代で完成した『経国大典』の編纂にもかかわっている。 また申叔舟は、その死にのぞんで成宗に「願わくば日本との和を失うなかれ」との名言を遺した。
mimana.jpg
申叔舟の先祖は、族譜によれば、もと新羅(注5)の公族(貴族)の後裔で、高麗王朝の時に地方に下り安逸戸長を務めていたといわれる。高麗王・第23代高宗(在位:1213-1259)の時、申成用(注6)が、文科に及第して正四品・檢校軍器監に任ぜられた。 高靈申氏の始祖・申成用の墓は慶尚北道高靈郡雙林面山州洞萬代山酉坐にある。これにより、子孫は「高靈(現 慶尚北道南西部)」を本貫として世居し優れた人材を多く輩出した。申叔舟もその一人である。申氏の本貫のある「高靈」はかつて、日本の領土のあった任那の「加羅」地域にあたる。

注3)Y-STR values by subgroups of O2b1a-47z; Y-STR of O2b1a samples(Y Haplogroup:O2b1a-47z, MT Haplogroup:D4a1-10410C*, FTDNA/Geno2.0 kit number:FTDNA 267024, Race:South Korean, Family Hometown:Kyeongsangnam-do(慶尚南道), Last name:Goryeong(高靈) Shin(申氏))
注4)申叔舟は日本への渡航経験もあり日本文化に精通してる学者と見られていたが、子孫らによるDNA鑑定の結果、申叔舟は日本人の子孫であった可能性が濃厚で、申叔舟自身が実際は日本人であった可能性も浮上している。
注5)『三國史記(新羅本紀)』には、新羅第4代王・昔脱解が倭國から渡來してきたこと記載している。また、韓國高等学校の教科書である『國史』には「新羅は、辰韓の小國のひとつである斯盧國から起こり、慶州地域の土着民集團と、外國からの移民集團とが結合して建國された。その後、倭國から渡來してきた昔脱解らの集團が王位について、朴・昔・金の3姓が交代で王位についた」とある。

Kuma the bear

ブロガー・Kuma the bearのY染色体は、ハプログループO1b2a1a1b(O-Z24598)である(注1)(注2)(注3)。

DYS 393 390 19 391 385a 385b 426 388 439 389i 392 389ii
Alleles 13 22 15 10 11 21 11 12 11 14 13 29

注1)『ハプログループO2b1a2』(2014.5.24)
注2)FTDNA"JAPAN DNA Project - Y-DNA"(Kit Number:N103053, Nishimori)
注3)FTDNA"O Y-Haplogroup - Y-DNA"(Kit Number:N102583, Nishimori)

濱田庄太郎

長野県小県郡長和町出身の濱田庄太郎(1882-1983)のY染色体は、ハプログループO1b2a1a1c(O-CTS6622)である(注1)(注2)。これは彼の子孫であるロバート・M・ハマダ(Robert M Hamada)から得られたサンプルを解析した結果に基づく(注3)。

DYS 393 390 19 391 385a 385b 426 388 439 389i 392 389ii
Alleles 13 22 15 10 10 18 11 12 12 14 13 30

注1)FTDNA"JAPAN DNA Project - Y-DNA"(Kit Number:136111, Hamada)
注2)FTDNA"O Y-Haplogroup - Y-DNA"(Kit Number:136111, Hamada)
注3)badmonkeyfinger"韓國 高靈申氏的 Geno 2.0結果"(2014.1.24)

Y染色体ハプログループO1b2a1a2系統 【弥生系】

犬塚拓馬

人気ブロガー、読書家・犬塚拓馬(Takuma Inudzuka, 筆名:つおるあ, 1977-  )のY染色体は、ハプログループO1b2a1a2(O-F2868, L682-)である(注1)(注2)(注3)。犬塚拓馬は、名古屋市立大学経済学部卒業。経済学をはじめ多岐な分野への考察を、ブログやNet掲示板を通して日々発信している。血液型はB型。

系譜によれば、桓武平氏良文流・犬塚氏の発祥地は、三河国幡豆郡犬塚村であると言われている(注4)(注5)。桓武平氏良文流・犬塚氏とのつながりは明瞭ではないが、犬塚拓馬は愛知県岡崎市の出身で、安兵衛の子、勘左衛門を初代として江戸時代中期に分流した家柄。以降、第二代・勘右衛門、第三代・勘右衛門と相続し、第四代・勘次郎の時に明治維新をむかえた。第五代・勘士郎は株取引で成功をおさめ、第六代・稔は大東亜戦争に応召出征。犬塚拓馬の父が第七代、兄が第八代当主にあたる。この流派は、第六代・犬塚稔が本田氏から入った婿養子であるため、六代目以降は生物学的には本田氏のY染色体ハプログループを継承している(注5)。
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      (桓武平氏良文流・犬塚氏系譜)
注3)ISOGG Tree(ver.11.70)による表記。原文のISOGG 2014による旧表記では「O2b*(O-M176*, subclade-F2868)」である。
注4)『犬塚氏のルーツを追う』(2011.5.29)
注5)千鹿野茂編『家紋でたどるあなたの家系』、305頁に「桓武平氏良文流 犬塚氏・三河国幡豆郡犬塚村に住み、千葉氏を改め、犬塚氏を称す。(『寛政譜』)」とある。

Y染色体ハプログループO1b2a1a2a1系統 【弥生系】

兪三宰

新羅 杞溪兪氏の始祖・兪三宰(Yoo Sam-Jae/유삼재)のY染色体は、ハプログループO1b2a1a2a1(O-L682, CTS2734, subclade-CTS723, CTS7620-)である(注1)。
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注1)FTDNA"O1+O2 Y-DNA haplogroup"(Kit Number:260961, Yoo)

兪鎮午

大韓民国憲法の起草者・兪鎮午(Yu Chingo/유진오, 1906-1987)のY染色体は、ハプログループO1b2a1a2a1(O-L682, CTS2734, subclade-CTS723, CTS7620-)であると推定される(注1)。
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兪鎮午は、京城帝国大学法文学部法学科を卒業。昭和14年(1939)、朝鮮文人協会が組織されると、大東亜戦争法科科長となり、昭和18年(1943)、『兵役は大きな力だ!(병역은 큰 힘이다!)』を朝鮮総督府の機関紙「毎日新報」に書いて朝鮮人学徒志願兵を奨励。昭和19年(1944)には「新時代」に『我等は必ず勝つ!!』を発表した。戦後は、大韓民国国会専門委員として『大韓民国憲法』と『政府組織法』を起草。高麗大学校総長、学術院終身会員、新民党代表最高委員を歴任し、文化勲章を受章。昭和42年(1967)、第7回総選挙で鍾路区から立候補して当選、国会議員を務めた。

注1)FTDNA"O1+O2 Y-DNA haplogroup"(Kit Number:260961, Yoo)

Y染色体ハプログループO1b2a1a2a1a系統 【弥生系】

天日槍命

新羅の王子で、王位を弟の知古王に譲って日本に渡来した、天日槍命(Amenohiboko-no-mikoto)のY染色体は、ハプログループO1b2a1a2a1a(O-CTS7620)であると推定される(注1)。これは彼の子孫から得られたデータに基づく。

『古事記』によれば、三韓征伐を行なった神功皇后の母方の父系祖先が天日槍命にあたる。高句麗の『広開土王碑』によれば、三韓征伐は辛卯391年で、この年、日本は海を渡って百済を攻め服属し、また新羅も攻めた。新羅はこの時代、第17代・奈勿王の時代にあたる。韓国の歴史書・『三國史記』『三國遺事』によれば、さらに第18代・實聖王(金氏王統)の壬寅(402年)には、新羅は日本に臣従を誓い、實聖王は、日本の求めに応じて、第17代・奈勿王の三男・未斯欣(微叱許智伐旱岐/みしこちはかんき/美海)を人質として日本へ送っている。これについて、『三國史記』、『三國遺事』は、「かつて奈勿王の時代、實聖王は人質として高句麗に送られたことがあり、その仕返しに奈勿王の王子を日本へ人質に送った」と記載している(注2)。實聖王の母は、新羅の倭人王統である昔氏の登也阿干(とやあか)の娘・礼生夫人である。また、奈勿王の二男・卜好(寳海)は、高句麗に人質として送られている。

その後、奈勿王の子で第19代・訥祇王は、朴堤上(363-419)に命じ弟・未斯欣の奪還を謀り、418年、朴堤上は新羅王の使者として日本へ赴いた。日本側の記録では、「汗礼斯伐(うれしほつ)、毛麻利叱智(もまりしち/朴堤上)、富羅母智(ほらもち)等が新羅から派遣され、人質として日本に渡っていた未斯欣の妻子が奴婢に落されたので、真偽を確かめ妻子を助ける為、未斯欣を一時、帰国させて欲しいと嘆願してきた。神功皇后は、これを深く憐れんでこの申し出を受け入れ、警護に葛城襲津彦を付けて新羅に送り出した。ところが新羅の使者と名乗っていた者たちは、人質を奪還する為の虚偽であったことが対馬で判明。未斯欣は小舟で海を渡って逃亡した。怒った襲津彦は、毛麻利叱智(朴堤上)ら三人の使者を焼き殺し、蹈鞴津(たたらのつ, 現 釜山南の多大浦)に上陸し、草羅城(くさわらのさし, 現 韓国慶尚南道梁山)を攻撃して捕虜を連れ帰った」と記載され、新羅側の記録でも「謀略が露見し未斯欣は逃亡して新羅に帰ったが、朴堤上(毛麻利叱智)らの使者は捕まり焼き殺された」と記載されている(注3)。

注2)『三國史記』「先是實聖王元年(402年)壬寅、與倭國講和倭王請以奈勿王之子未斯欣爲質。王嘗恨奈勿王使己質於高句麗思有以釋憾於其子故不拒而遣之」
注3)『日本書紀』では、「毛麻利叱智」、『三國史記』では「朴堤上」、『三國遺事』では「金堤上」と同一人物の名が異なり、記載内容の脚色も異なるが、「新羅が王子を日本へ差し出し、王が代替わりしてから、使者が王子を奪還に来て、王子は新羅に帰れたが、使者は捕まえられて焼き殺された」と言う内容は全く同じである為、史実であろうことは明白である。

田道間守

日本に橘(柑橘類/蜜柑)をもたらした忠臣・田道間守(Tajimamori)のY染色体は、ハプログループO1b2a1a2a1a(O-CTS7620)であると推定される(注1)。これは彼の子孫から得られたデータに基づく。
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         (田道間守)
田道間守は、垂仁天皇の命により「非時香菓(ときじくのかくのみ)」、すなわち現代で言うところの「橘(柑橘類)」を求める為に海外へ派遣された。田道間守は、艱難辛苦の末にようやく「非時香菓」8竿8縵(やほこやかげ:竿・縵は助数詞で、葉をとった8枝・葉のついた8枝の意味)を持って帰国したが、垂仁天皇はその前年に崩御されてしまったこと知り、皇陵の御前に拝し、嘆き悲しんで殉死した。田道間守の遠祖は、新羅の王子・天日槍命(Amenohiboko-no-mikoto)といわれる。


児島高徳

南朝の忠臣で『太平記』の作者と言われる児島高徳(Takanori Kojima, 1312-1382)のY染色体は、ハプログループO1b2a1a2a1a(O-CTS7620)である(注1)。これは彼の子孫ら複数名から得られたデータに基づく。
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         (児島高徳)
児島高徳は、備前国児島郡林村(現・岡山県倉敷市林)出身。元弘元年(1331)の元弘の乱以降、後醍醐天皇に対して忠勤を励み、桜の木に刻んでその意を天皇へお伝え申し上げた「天莫空勾践、時非無范蠡(天、勾践(こうせん)を空(むな)しゅうする莫(なか)れ。時に范蠡(はんれい)無きにしも非(あら)ず)」の詩(桜樹題詩)は文部省唱歌ともなり著名。高徳は南北朝分裂後も終始一貫して南朝に仕え、晩年は出家して小嶋法師(志純義晴大徳位)と号した。

注1)FTDNA"O1+O2 Y-DNA haplogroup - Y-DNA SNP"(Kojima/Miyake)
注2)『児島高徳』作詞不詳・岡野貞一作曲/文部省唱歌「船坂山(ふなさかやま)や杉坂(すぎさか)と、御(み)あと慕いて院の庄(いんのしょう)。微衷(びちゅう)をいかで聞こえんと、桜の幹に十字の詩。天(てん)勾践(こうせん)を空(むな)しゅうする莫(なか)れ、時(とき)范蠡(はんれい)無きにしも非(あら)ず。御心(みこころ)ならぬいでましの、御袖(みそで)露けき朝戸出に誦(ずん)じて笑(え)ますかしこさよ、桜の幹の十字の詩。天(てん)勾践(こうせん)を空(むな)しゅうする莫(なか)れ、時(とき)范蠡(はんれい)無きにしも非(あら)ず」

重定茂次郎

岡山県出身の重定茂次郎(Shigejiro Shigesada, 1860-1940)のY染色体は、ハプログループO1b2a1a2a1a(O-CTS7620)である(注1)。これは、彼の子孫から得られたデータに基づくものである(注2)。重定氏は、岡山県苫田郡鏡野町富東谷重定を本貫とし、現在、岡山県に20軒、大分県に10軒を数える家柄。

DYS 393 390 19 391 385a 385b 426 388 439 389i 392 389ii
Alleles 13 23 16 10 10 18 11 12 11 14 13 29

注1)FTDNA"JAPAN DNA Project - Y-DNA"(Kit Number:N79769, Shigesada)
注2)"Shigesada's dna"(Ysearch, 重定勝哉)

宮野元秀

機械工学の研究技術者・宮野元秀(Motohide Miyano, 1948-  )のY染色体は、ハプログループO1b2a1a2a1a(O-CTS7620)である(注1)(注2)(注3)(注4)。宮野元秀の父祖は石川県の坂下氏の出身であるため、生物学的には坂下氏のY染色体ハプログループを継承している。

注1)23andMe "DNA RELATIVES"
注2)宮野元秀『機械の研究
注4)ISOGG Tree(ver.11.330)による表記。原文のISOGG 2014による旧表記では「O2b*(O-P49*)」である。

赫居世居西干

新羅の初代王・赫居世居西干のY染色体は、ハプログループO1b2a1a2a1a(O-CTS7620)の系統に属すると推定される(注1)。これは、赫居世居西干の子孫にあたる朴氏男性複数名から得られたサンプルを解析した結果に基づく。解析の結果、朴氏男性の32.4%がO1b2a1a*(O-F1204, xCTS10145)に属し、14.1%がO1b2a1a1(O-CTS10145)に属していることが明らかとなった(注2)。 赫居世の子で、第2代新羅王・南解次次雄(なかつつのお)は、住吉神社の祭神「中筒男命(なかつつのおのみこと)」と同名で、日本名を持つことで知られる。
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伝説によれば、新羅六部の長が霊気に導かれて辿り着いたところに、紫の卵があった。卵を割ってみると中から男の子が現れ出て、その容姿は優れていた。村長たちはその子を沐浴させると、体の中から光が出てきたとされる。この大きな卵が「瓠(ひさご/ひょうたん)」に似ていたため、辰韓語で「」を意味する「朴(박/パク)」を姓としたという。赫居世は13歳の時、推戴されて新羅の初代王となったとされる。
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韓国の歴史書『三國史記』によれば、日本人で新羅王家の宰相を務めた「瓠公(ホゴン/ひさごのきみ)」に関することや、日本から渡来して新羅の王となった昔氏の王統に関する詳細な記述があり、O1b2a1a2(O-F2868)や、O1b2a1a1(O-CTS10145)は、中国大陸には殆ど見られずベトナムやマレーシアなどに見られる南方由来の系統である為、後世「赫居世居西干」と呼ばれるようになった説話の人物は日本列島を経由して朝鮮半島へ北上したか、日本列島に滞留して弥生文化を作り上げた日本人の一人であった可能性が高いと指摘されている。

史実によれば、3世紀頃、朝鮮半島の南東部には辰韓十二国があり、その中に斯蘆国があった。辰韓の「辰」は斯蘆の頭音で、辰韓とは斯蘆国を中心とする韓の国々の意味と考えられている。「秦韓」と書いて「秦」の時代に万里長城の建設の為に駆り出された工夫が逃げ出して建てた国とする説は、後世の牽強付会であるという。新羅は、この斯蘆国が発展して基盤となって、周辺の小国を併合して領土を拡大していき、国家の態をなしたものであると考えられている。「新羅」という国号は、後に正式に国号と認められたもの。

『太平御覧』に収める『秦書』には、「377年に前秦に初めて新羅が朝貢した」と記されており、382年には新羅王・楼寒(ろうかん/ヌハン)が朝貢を奉り、その際に「新羅の前身が辰韓の斯盧国である」と前秦に上表したとされる。この「楼寒」については王号の「麻立干」を表すものと見られ、該当する王が「奈勿尼師今」に比定されている。記述から奈勿尼師今の即位(356年)が新羅の実質上の建国年とも考えられている。また梁の『職貢図』では、「新羅は、あるときは韓(高句麗)の属国であり、あるときは倭の属国であった」と記述されている。(原文:「斯羅國,本東夷辰韓之小國也。魏時曰新羅,宋時曰斯羅,其實一也。或屬韓或屬倭,國王不能自通使聘」/訳文:「斯羅國は元は東夷の辰韓の小国である。魏の時代には「新羅」といい、劉宋の時代には「斯羅」と言ったが同じ国である。或るとき「韓」に属し、あるときは「倭」に属したため国王は使者を派遣できなかった」)とある。さらに、『広開土王碑』や『中原高句麗碑』(韓国国宝第205号)には、「新羅は、時期によって「倭」や「高句麗」によって支配されていた」と書かれている。Y染色体の調査結果によれば、朝鮮半島固有のハプログループというものは存在せず、中国系(O2系統)か、日本系(O1b系統)か、モンゴル系(C2系統)のいづれかに大半が属するという。

注2)調査結果の「O1b2a1a(O-F1204, xCTS10145)」は、「O1b2a1a2(O-F2868)」の下流に属する「O1b2a1a2a1a(O-CTS7620)」の可能性が高いと考えられている。

蘇伐都利

古朝鮮時代・辰韓(斯盧)の六部の一つ突山高墟村(後の沙梁部)の村長・蘇伐都利(Soborutori)のY染色体は、ハプログループO1b2a1a2a1a(O-CTS7620)である(注1)。これは彼の子孫から得られたデータに基づく。弥生時代に日本列島から朝鮮半島南部に進出した蘇伐都利の子孫が慶尚道(慶州)に世居して慶州崔氏と呼ばれたと言われる。本貫の「慶州」は現在の「韓國慶尚北道慶州市」にあたる(注2)。
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   (『三国史記(新羅本紀-崔氏)』)
『三国史記』によれば、古朝鮮時代・辰韓(斯盧/現・慶州)では、人々が山間の六つの村に分かれて住んでいた。この六ヶ村の一つ「高墟村」の村長・蘇伐都利(ソボルトリ)が、山の麓の「蘿井(現・慶州市塔里)」の林の中で、馬が嘶いていることに気づき、その場所に行ってみると、馬はおらず変わりに「大きな卵」があり、その卵を割ると中から男児が出てきたので、村長たちはこれを育てた。男子は10歳を過ぎる頃には人となりが優れていた。出生が神懸かりでもあった為、六ヶ村の村長らは彼が13歳の時、彼を推戴して王とした。彼は即位して「赫居世居西干」と名乗り、国号を徐那伐(ソナボル)とした。これが新羅(斯盧)の始まりであると言う(注3)(注4)。

注1)FTDNA"Korea DNA - Y-DNA SNP (慶州崔氏)"(Kit Number:311579, Choi)
注2)『三国史記』と『三国遺事』では、崔氏と鄭氏の始祖の記述が真逆となっているが、通常は『三国遺事』より以前に編纂された『三国史記』の記述が正しいとされる。
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注3)赫居世は、後の朴氏の始祖
注4)「蘇伐都利」は「蘇伐公」とも書かれる。「蘇伐(ソフル)」とは韓語で「都(ソウル)」を意味し、「都利(トリ)」は「村長」を意味する。よって「蘇伐都利」とは「都の長」、「都知事」を表す言葉。朝鮮半島では、王家の始祖が人智を超えた英雄とし、「卵」から生まれたと説く伝承(卵生神話)が多く見られるが、日本では全く存在しない。「卵」を「桃」に置き換えると「桃」から生まれた「桃太郎」と言う少年が傑物で、青年になって鬼退治を行ったと言う説話が、日本では岡山県にわずかに伝わる程度である。

崔致遠

新羅末期の文人・崔致遠(さい ちえん, 858-  )のY染色体は、ハプログループO1b2a1a2a1a(O-CTS7620)である(注1)(注2)(注3)。崔致遠の本貫は、慶州(月城)崔氏。その祖先は弥生時代に朝鮮半島南部に進出した人々で、新羅王朝の建国時に慶州に移り住んだ古朝鮮の高墟村(後の沙梁部)の村長・蘇伐都利に続く家柄といわれる。
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         (崔致遠)

DYS 393 390 19 391 385a 385b 426 388 439 389i 392 389ii
Alleles 13 23 16 10 10 20 11 12 12 13 13 28

ハプログループの解析の結果により、慶州崔氏全州崔氏は、同一父系に基づかない男系子孫同士であることが明らかとなった。

注1)The Genographic Project 2.0 "OUR STORY"
注2)ISOGG Tree 2017(ver.12)による表記。原文のISOGG 2014による表記では「O2b1b(O-CTS2734)」であるが、FTDNAによるSNPの追加鑑定で「CTS7620」が陽性であることが判明している。
注3)FTDNA"O Y-Haplogroup - Y-DNA"(Kit Number:311579, Choi)

趙璋

高麗 玉川(淳昌)趙氏の始祖・趙璋のY染色体は、ハプログループO1b2a1a2a1a(O-CTS7620)である(注1)。趙璋は、初名を「趙俊」また「趙俊璋」と言い、光祿大夫、檢校大將軍、門下侍中に任ぜられた。玉川(淳昌)趙氏は、全羅北道淳昌郡の「玉川」を本貫とした氏族で、弥生時代に朝鮮半島南部に進出した人々の子孫といわれる(注2)(注3)。
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     (淳昌趙氏族譜)
注3)ISOGG Tree 2017(ver.12)による表記。原文のISOGG 2014による旧表記では「O2b1b(O-L682, subclade-CTS7620)」である。

Y染色体ハプログループO1b2a1b系統

柳成龍

『懲毖録』を著した李氏朝鮮時代の宰相・柳成龍(1542-1607)のY染色体は、ハプログループO1b2a1b(O-CTS3505)である(注1)(注2)。柳成龍の本貫は、咸鏡道豊山(現 北朝鮮両江道金亨権郡)で、これは、豊山柳氏西涯愚川派の13世孫ら複数名から得られたデータに基づくものである(注3)(注4)(注5)。『懲毖録』は、1695年に大和屋伊兵衛が京都で訓読をつけた「2巻本」を刊行し、文禄・慶長の役での朝鮮側の内部事情を知る重要な手掛かりとなった。
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         (柳成龍)

DYS 393 390 19 391 385a 385b 426 388 439 389i 392 389ii
Alleles 13 23 17 10 9 18 11 12 12 14 13 30

注1)FTDNA"Korean Nobility - Y-DNA"(Kit Number:255301, Ryu)
注2)The Genographic Project 2.0 "OUR STORY"
注5)ISOGG Tree(ver.11.70)による表記。原文のISOGG 2015による旧表記では「O1b2*(O-M176*, subclade-CTS3505)」である。


柳時元

韓国の俳優、歌手・柳時元(リュ・シウォン/류 시원/Ryu Si-won, 1972-  )のY染色体は、ハプログループO1b2a1b(O-CTS3505)であると推定される(注1)(注2)。これは、豊山柳氏西涯愚川派に属する柳成龍の十三世孫ら複数名から得られたデータに基づく推測である(注3)(注4)(注5)。柳時元は柳成龍の十四世孫にあたる。
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注1)FTDNA"Korean Nobility - Y-DNA"(Kit Number:255301, Ryu)
注2)The Genographic Project 2.0 "OUR STORY"
注5)ISOGG Tree(ver.11.70)による表記。原文のISOGG 2015による旧表記では「O1b2*(O-M176*, subclade-CTS3505)」である。


modoru.jpg susumu.jpg

  • 最終更新:2017-05-10 23:38:50

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