Y染色体O2a1系統

Y染色体ハプログループO2a1b系統

o2a1c_map1.jpg
O2a1b系統(O-IMS-JST002611)の分布図



Y染色体ハプログループO2a1b1a2a1a1a系統(秦系)

秦始皇帝

秦始皇帝のY染色体は、ハプログループO2a1b1a2a1a1a(O-CTS6279)であると推定される(注1)(注2)(注3)。
qin_shi_huang3.jpg
picture from Wikipedia
これは、嬴姓趙氏のY染色体の解析結果に基づく(注1)。


注1)『探析中華民族的源流』(2007.11.11)
注3)『弥生人の起源』(2011.10.2)

秦河勝

聖徳太子の側近として活躍した秦河勝のY染色体は、ハプログループO2a1b1a2a1a1a1(O-F25545)であると推定される(注1)(注2)(注3)。
hata_no_kawakatsu.jpg
       (秦河勝)
秦河勝の子孫としては、楽家の東儀家、猿楽の始祖観阿弥世阿弥親子、四国の戦国大名の長宗我部元親長宗我部盛親親子などが知られる。
togi_tetsusaburo.jpgzeami1.jpgchosogabe_motochika.jpg
      (東儀哲三郎)           (世阿弥)           (長宗我部元親)
picture from Wikipedia

注1)『探析中華民族的源流』(2007.11.11)
注3)『弥生人の起源』(2011.10.2)

徐福

中国 秦代の方術士・徐福のY染色体は、ハプログループO2a1b1a2a1a1a2(O-MF14479)であると推定される(注1)。これは、江蘇省の徐氏 男性複数名から得られたデータに基づく(注2)。
xu_fu.jpgxu_fu3.jpgxu_fu4.jpgxu_fu5.jpg
picture from Wikipedia

司馬遷の『史記』よると、徐福は、斉国の琅邪郡(現 山東省臨沂市)の出身であるが、1982年『中華人民共和國地名辭典』編纂の際に行われた国家的規模の学術調査において、江蘇省連雲港市贛楡県金山鎮にある「徐阜」という村に、徐福にまつわる伝承や遺品が集中して発見された。この村は、少なくとも清朝 乾隆帝の時代より以前から「徐福村」と呼ばれており、徐福自身は「蓬莱郷」と「不老不死の仙薬」を求めて東方へ船出したが、残された親族が、のちに江蘇省へ移り住んだと伝えられている(注3)。一方、日本の和歌山県には、韓人・李梅渓が揮毫し、紀州藩祖・徳川頼宣が建てた「秦 徐福之墓」という墓がある(注4)。

注1)分子人類學論壇『江蘇揚州徐氏』(2010.6.20)
注2)ISOGG Tree 2017 (ver.12.31)による表記。
注3)宮城谷昌光『異色中国短篇傑作大全』 講談社、2001年、146頁、ISBN 4-06-264970-5
注4)東論文化『中国人が日本人の祖先という伝説は史実ではない』(2017.3.30) - 中国では秦の始皇帝の命を受けて不老不死の薬を求めて日本に渡った徐福という人物が日本人の祖先だと信じている人が少なからず存在する。徐福と同じY染色体ハプログループに属する人々が存在することから、徐福が日本に到達していた可能性はゼロではないが、同様の伝承は朝鮮半島にもあるため伝説の域を出ない。徐福と数千人の若い男女が日本人の祖先であるというのは明らかに語弊のある表現だと言えよう。中国メディアの東論文化は2017年3月30日、「中国では徐福と徐福が従えていた若い男女たちが日本人の祖先であると主張する人がいる」と紹介する一方で、「果たしてこの説は本当なのだろうか」と疑問を投げかける記事を掲載した。記事では、徐福とその一行が日本人の祖先であるとする説に対し、Y染色体による分析を示して、特殊な例外を除き、大多数の日本人の祖先は徐福とその一行ではないと論破。分子人類学に基づく人類のY染色体ハプログループで分類すると、日本人はハプログループD1bというY染色体を持つグループが日本に渡り、数万年間、独自の発展を遂げた後、東アジアにルーツを持つハプログループO1bの弥生人と融合共生した民族が日本人であると解析した。さらに、徐福とその一行が日本人の祖先であるならば「日本語に中国語の影響が見られなければならない」と指摘し、漢字は日本でも使用されているが「日本語と中国語の文法はまったく異なる」と説明。Y染色体から見ても、言語面から見ても「紀元前3世紀ごろに不老不死の薬を求めて日本に渡った徐福という人物が日本人の祖先だとする説は正しくない」と伝えた。

孔子(浙江衢州派)

中国・春秋時代の思想家、哲学者・孔子(BC552-BC479, Confucius)の第53世孫・孔洙の子孫のY染色体は、ハプログループO2a1b(O-IMS-JST002611)である(注5)。

孔子が、いかなるY染色体の系統に属するかを解析するために、曲阜孔氏の男性1,118名を対象に調査を行ったところ、ハプログループC2(C-M217)(46.06%)、ハプログループQ1a1a1(Q-M120)(27.01%)、ハプログループO2(O-M122)(20.66%)、その他(6.27%)であることが判明した(注1)(注2)。これは、第53世孫・孔洙の子孫にあたる浙江省衢州・孔氏から得られたサンプルに基づく。
confucius1.jpgconfucius5.jpg
picture from Wikipedia
この結果により、従来は同一父系に属すると考えられてきた「曲阜孔氏」が、実際には、ほぼ3系統の異なる父系の子孫に分かれることが明らかとなった。また、実際の孔子の系統は、ほぼ半数(46.06%)を占めるハプログループC2(C-M217)である可能性が高いと考えられる一方で、漢民族としては比較的珍しいハプログループQ1a1a1(Q-M120)が「曲阜孔氏」の男性から4人に1人以上(27.01%)の高頻度で検出されたことなどから、こちらが実際の孔子の系統ではないかと考える研究者もいたが、その後、孔子の家系の祖系である宋前湣公の系統がハプログループC2c1a2a(C-F948, F1319, subclade-F8841)であることが判明し、孔子の子孫を名乗る家系の内C2系統とされたグループと父子関係が立証された為、約半数(46.06%)に当たる(C-M217 subclade-F1319)が孔子の真の系統であることが明らかとなった。(Q系統は孔子の弟子・子路が迫害にあった際、事情があって孔子の家系の者の養子となったのではないかと推測されている) これらは、濟南鐡路公安局刑事技術所や、復旦大學らの研究チームの解析によるものである(注3)(注4)。
confucius2.jpgconfucius3.jpg

注2)測試様本數爲曲阜地區孔姓人群1118例箇例。測試結果表明,曲阜孔姓出現三種高頻單倍群:C3(46.06%)、Q1a1(27.01%)、O3(20.66%)。其中O3因爲没有集中趨勢,估計O3三大支等全都有,而被論文作者自己排除在孔子后裔之外。論文作者認爲C3和Q1a1都有可能是孔子后裔的類型。
注4)ISOGG Tree(ver.13.242)による表記。原文ではISOGG 2014による旧表記で各々「C3(C-M217)」「O3(O-M122)」、ISOGG 2012による旧表記で「Q1a1(Q-M120)」とある。
注5)分子人類學吧『孔子及其内孔家族Y-DNA之謎解析』(2016.1.29)

曹参

前漢の丞相・曹参のY染色体は、ハプログループO2a1b(O-IMS-JST002611)である(注1)(注2)。
so_san.jpg
picture from Wikipedia

注2)ISOGG Tree(ver.10.68)による表記。原文のISOGG 2010による旧表記では「O3a4」である。

有田哲平

芸能人・有田哲平のY染色体は、ハプログループO2(O-M122)である(注1)。有田哲平は、熊本県熊本市の出身(注2)。有田哲平のミトコンドリアDNAはこちらを参照。
arita.jpg
picture from Wikipedia
有田哲平との直接の系譜関係は明瞭ではないが、有田氏は、筑前国怡土郡有田村(現 福岡県糸島市有田地区)に因む氏と言われ、高祖城主・原田氏の家臣として有田因幡守宗良という豪族がいたことが伝えられている。江戸時代に有田村の庄屋であった有田家に伝わる『有田家文書』によれば、有田氏の出自は「平重盛は側室の一人を褒美として原田種直に与えた。種直は、賜った「重盛の側室」を妻とし、のちに生まれた男子が有田氏の祖である」とあり、嘉元三年(1306)、有田右衛門は、有田村に居城・有田城を築いたという。永禄十年(1567)より天正十四年(1586)に至るまで、様々な合戦に原田氏親族衆の将として活躍し、特に、永禄11年(1568)の小金坂の合戦では、有田因幡守宗良に抜群の戦功があったとして、高祖城主・原田氏から感状その他で賞されている(注3)。

高祖城主・原田氏は、後漢靈帝(156-189)の末裔で、天慶3年(940)5月3日、伊豫掾 藤原純友を追討して功のあった大蔵朝臣春實を祖とする一族。大蔵春實は、戦功により征西将軍に任じられ、筑前・豊前・肥前・壱岐・対馬の三前二島の管領職となり九州に下向。太宰府に近い筑前御笠郡基山の山麓にあった原田(筑前国御笠郡原田/現 福岡県太宰府市原田)の地に居館して大蔵朝臣姓原田氏を称した(注4)。有田氏はその支流にあたる為、この系譜が正しければ有田氏のY染色体は、ハプログループO2a1b(O-IMS-JST002611)である可能性が高いと推定される(注5)。

注2)ISOGG Tree 2017(ver.13.242)による表記。原文のISOGG 2011による旧表記では「O3(O-M122)」である。
注3)唐津街道歴史研究所『筑前国怡土郡 有田城跡』(2014.1.7)
注4)戦国大名研究『武家家伝 原田氏

アンディ・ラウ

香港の俳優・アンディ・ラウ(劉徳華/Andy Lau, 1961-   )のY染色体は、ハプログループO2a1b(O-IMS-JST002611)である(注1)。これは、彼の家族から得られたデータに基づくものである(注2)。
andy_lau.jpg

注2)ISOGG Tree(ver.13.242)による表記。原文のISOGG 2010による旧表記では「O3a4」である。

嚴嵩

中国 明代の政治家・嚴嵩(Yan Song, 1480-1567)のY染色体は、ハプログループO2a1b(O-IMS-JST002611)である(注1)(注2)。嚴嵩の字は惟中。介溪と号した。江西省分宜縣の人で、祖籍は福建省邵武縣である。
yan_song.jpg
picture from Wikipedia

注2)ISOGG Tree 2017 (ver.13.242)による表記。原文のISOGG 2014による旧表記では「O3a1c(O-IMS-JST002611)」である。

馬英九

第12代、第13代 中華民国総統・馬英九(1950-  )のY染色体は、ハプログループO2a1b(O-IMS-JST002611)である(注1)(注2)。馬英九の祖父・馬立安の本貫は、中国湖南省湘潭県馬家堰である。
ma_eikyu.jpg
picture from Wikipedia

注2)ISOGG Tree(ver.13.242)による表記。原文のISOGG 2014による旧表記では「O3a1c(O-IMS-JST002611)」である。

Y染色体ハプログループO2a1b1a1a1a系統【漢民族系】

北岡正治

大連信維科技有限公司日本支社顧問、海外ビジネス・コンサルタント・北岡正治のY染色体は、ハプログループO2a1b1a1a1a(O-F11, subclade-F105)である(注1)(注2)。北岡正治の曾祖父は高知県の出身(注3)。
iwamura_toshio.jpg
北岡正治の祖父・岩村俊雄は、朝鮮京城市の京畿中学校校長として、大東亜戦争終結まで30年以上を朝鮮で暮らし、戦後は内地に帰還して高知城東中学校の校長などを歴任した(注4)(注5)。北岡正治は、東京大学理学部数学科に学び、日・英・仏・中の4ケ国語に堪能。富士通の中国子会社の総経理(社長)を7年弱勤めた後退職し、商品開発、事業計画や経営での経験を生かし、海外ビジネス・コンサルタント、講師として活躍中(注6)(注7)。血液型はA型。

注1)北岡正治『遺伝子から分かる私の祖先たち』(2014.5.12)
注2)ISOGG Tree 2017(ver.13.242)による表記。原文のISOGG 2014による旧表記では「O3a1c1*(O-F11, subclade-F105)」である。
注3)"mkitaoka"(Genographic Project 2.0)
注6)"北岡正治"(facebook)

Y染色体ハプログループO2a1b1a1a1a1e系統【漢民族系】

白智勲(水原白氏)

韓国のサッカー選手で、水原三星ブルーウィングス所属のミッドフィールダー・白智勲(ハク・チクン/Baek Ji-hoon/백지훈, 1985-   )のY染色体は、ハプログループO2a1b1a1a1a1e(O-F2109, F2180)であると推定される(注1)。これは韓国・水原白氏の男性から得られたサンプルに基づく推定結果である(注2)(注3)。
baek_jihoon.jpg
picture from Wikipedia
水原白氏は、新羅・太宗時代に唐から渡来した白宇経(ハク・ウケイ)を始祖とする。『水原白氏始祖祭壇碑』は、韓国慶尚南道居昌郡主尚面にある。

※韓国慶尚南道固城郡出身の水原白氏の男性1名からはC2c1a2(C-Z12209)が検出されている。

注1)"O3a1c1님 보세요."(2014.9.7)
注3)ISOGG Tree 2018(ver.13.242)による表記。原文のISOGG 2015による旧表記では「O3a1c1f(O-F11, subclade-F2180)」である。

朴德華(密陽朴氏・朴德華派祖)

韓国・密陽朴氏の朴德華派祖・朴德華(ボク・トクカ/Bak Deokhwa/박덕화, 1590-  )のY染色体は、ハプログループO2a1b1a1a1a1e1a1a(O-SK1686)である(注1)。これは韓国・密陽朴氏朴德華派祖の男性から得られたサンプルに基づく(注2)。

朴氏の始祖といわれる赫居世の子孫からはO1b2a1a2a1a(O-CTS7620)が検出されている。

注1)FTDNA"Korea DNA - Y-DNA"(Kit Number:N12424, Park)
注2)FTDNA"O Y-Haplogroup - Y-DNA"(Kit Number:N12424, Park)

Y染色体ハプログループO2a1b1a2b系統【漢民族系】

孟子

思想家・孟子(BC372-BC289)のY染色体は、ハプログループO2a1b1a2b(O-F1266, F2016)である(注1)(注2)。これは孟子の子孫から得られたデータに基づくものである(注3)(注4)。
moushi.jpg
picture from Wikipedia

注1)山東孟氏,父系單倍群O2a1b1a2b(F1266, F2016)求分析。山東滕州孟氏、属亞聖故里二十戸之一的臨鞍戸流寓滕縣西劉庄(今爲濟寧市微山縣南羊庄村)的一支。該村孟氏最遲于元代時已穫官方承認爲孟子后裔、并勒碑爲記。現任亞聖奉祀官爲第七十六代后裔孟令繼、居臺灣。我所属的臨鞍戸。

Y染色体ハプログループO2a1b2a1b系統【漢民族系】

I氏

I氏のY染色体は、ハプログループO2a1b2a1b(O-SK1670, MF7367, subclade-MF9367, MF9326, MF9328)である(注1)(注2)。これはI氏の子孫から得られたデータに基づくものである(注3)(注4)。

注1)Y-full(2019.6.10)のデータに基づく。


modoru.jpg susumu.jpg

  • 最終更新:2023-06-07 22:58:43

このWIKIを編集するにはパスワード入力が必要です

認証パスワード