Y染色体D1a2系統

アフリカ大陸の北東部にいた古代(約6万8,500年前)のある一人の男性の遺伝子に起きたYAPと呼ばれる因子を持つ系統。この系統は、Y染色体上の長腕部「DYS287 Yq11」に、約300塩基からなるAlu配列(Alu sequence)の挿入多型を余分に持つことで知られる。

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(左)D1a2系統の分布図   (右)D系統の拡散経路を示す想定図(2017)

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Y染色体ハプログループD1a2系統 【日本固有種】

分子時計の推算によれば、ハプログループD1a(D-CTS11577)からハプログループD1a2(D-M64.1)へは、約4万5,100年前に分岐した系統である。

従来の日本人起源論は、
(1)「先住民存在説」(石鏃粛慎説 アイヌ説 プレアイヌ説 コロポックル説)
(2)「日本人原住民説」清野謙次など
(3)「日本人混血説」ドイツ人・ベルツ、鳥居龍蔵など

があったが、最新の分子生物学・人類遺伝学の成果と見比べた場合、清野謙次(Dr. Kenji Kiyono, 1885-1955)の学説が概ね正しいことが明らかとなった(注1)。
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清野謙次の学説によれば、
「洪積期(約180万年前-4万年前)は、日本列島は未だ無人島であったと思われるが、新石器時代に日本列島に初めて人類が到達し、彼らによって石器時代の日本人(のちの縄文人)が生まれた。その後大陸や南洋から種々の人種が渡来して多少ずつは混血したが、石器時代の日本人から一挙に体質を変化させるような大規模な混血はなかった。さらに、時代が進むにつれて、混血や環境、生活状態の変化によって現代日本人となったのである。日本人は日本列島において、はじめから結成されたもので、日本列島は日本人の故郷であり、決してアイヌの母地を占領して居住したものではない。現代アイヌ人も日本石器時代人を祖型とし、その後北部異人種との混血によって、現代のアイヌ人が形成されたのである」というものである(注2)。清野は、医学、人類学、考古学に精通し、生体染色法の応用で組織球性細胞系を発見した病理学の世界的第一人者である(注3)。

注1)『日本人はどこから来たか』樋口隆康著、講談社現代新書(1971)
注3)『京都大学医学部病理学教室百年史』

日本語族・日本列島人

日本語の祖語を話していた民族である日本語族・日本列島人(Japonic languages, Japonesian/ヤポネシアン, Yaponiya imperator evi)のY染色体は、ハプログループD1a2(D-M64.1)であったと考えられている(注1)(注2)(注3)(注4)。
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日本語は「孤立言語」と呼ばれ、近隣諸国の言語とは、文法・発音ともに大きく異なっおり、日本語との兄弟言語は、世界中どこにも存在しないのが定説とされてきた。その一方で、南方言語である琉球諸語(沖縄方言)との類似、インド南部のタミール地方で使われるタミル語は、日本語と文法が同じであり、さらにタミル語の古語で、稲は「ine 」、姉は「ane」、兄は「ani」、話すは「fanasu」など、語彙に関しても日本語との共通点が多い。またタミル語で、太陽が「ya」、下が「moto」と発音され、 「ya-moto(ヤモト/やまと)」は、「太陽の下」、すなわち「日の本(東方)」を意味するといわれる(注5)(注6)。一方、アイヌ語は語順(SOV語順)において日本語と似るものの、文法・形態は類型論的に異なる抱合語に属し、音韻構造も有声・無声の区別はなく閉音節が多い、などの日本語とは異なる要素を持つため、日本語の直接の祖語ではないことは明らかであるが、それより古い時代にあたる縄文時代にハプログループD1b系統の種族が話していた言語は、SOV語順であったと考えられ、それらが日本列島におけるそれぞれの言語の基礎となった可能性が高いとされる。

言語類型論による調査では、世界の言語の約45%がSOV型言語で、その代表とされるものは、日本語、琉球語、アイヌ語、チベット語、ドラヴィダ語、アルタイ諸語、サンスクリット語、インド・イラン語派、アルメニア語、オランダ語、ドイツ語、ラテン語、ナバホ語、バスク語、シュメール語、アッカド語、エラム語、ヒッタイト語などがこの型をとる。

虫の声を認識できるのは日本人とポリネシア人のみ

虫の鳴き声を「声」として認識できるのは、世界中で日本人とポリネシア人のみである。その他の民族は虫の鳴き声を脳内で「雑音」として処理しており、この違いは「虫の鳴き声」を脳内で「右脳」で処理しているか「左脳」で処理しているかによる違いであると言う。しかし、これは遺伝的特徴では無く、日本語を母国語として育った場合にはそのように脳が処理するようになり、また、反対に血統的に日本人であっても外国に滞在し、外国語を母国語として育った場合には「虫の鳴き声」を雑音として聞き取るようになるという。これらの研究によって、日本語自体は遺伝子に影響している訳では無いが、日本語の源流は縄文以前からの古代言語で、他の東アジア諸外国および、中国、朝鮮半島には存在せず、その源流と呼べるものは太平洋南部のポリネシア系の言語であったことが明らかとなった。これらの源流とされる範囲は、かつてオカルティストたちが「ムー大陸」と想定していた範囲に近似しているとの説もある(注7)。

注1)崎谷満『DNAでたどる日本人10万年の旅 多様なヒト・言語・文化はどこから来たのか』昭和堂、2008
注2)崎谷満『DNA・考古・言語の学際研究が示す新・北海道史 アイヌ民族・アイヌ語の成立史』勉誠出版、2008
注3)崎谷満『DNA・考古・言語の学際研究が示す新・日本列島史 日本人集団・日本語の成立史』勉誠出版、2009
注4)Thomas Pellard『日琉祖語の分岐年代』京都大学(2012.2.19)、論考の中に「縄文時代に日琉祖語がすでに日本に渡っていたとする説もある(小泉1998,松本2007)」とあり「詳細な論証は別稿に譲る」とある。
注5)『伊那の谷から古代が見える』(2015.5.28) 本文中に「柳田国男の「方言周圏論」の原則に一致し、日本語と似たと思われる言葉(レプチャ語・タミル語)は、相離れたチベットおよびアンダマン諸島(→タミル・ナードゥ州)に「古語」が残った。日本人集団特有の「D系統ーマーカーM174」が存在する場所もまた、おなじ現象で残り、言語の現象と一致した」とあり。
注7)「ムー大陸」の存在自体は現在では科学的に否定されているが、それら仮説の基礎となった太平洋ポリネシア文化圏に関しては、肯定的な見解が支配的である。
注8)『日本列島人(ヤポネシア人)のゲノム歴史学』遺伝研共同利用研究集会(2017.8.16)

生の海藻類を消化できる民族

フランスの「ロスコフ海洋生物研究所」の研究によると生の海洋海藻類を消化できる民族は、日本人だけである(注1)。
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この研究の過程でHehemann氏は、「ポルフィラン(紅藻類の細胞壁で見つかった炭水化物)」を分解する酵素を発見した。この酵素を消化する遺伝子は「Bacteroides plebeius」という人間の腸で見つかった微生物からもたらされたことが、別の研究から明らかとなった。同時に、すべての人がこの「Bacteroides plebeius」に由来する海藻を分解する遺伝子を持っている訳ではなく、世界中で日本人しか持っていない遺伝子であることが判明した。これは日本人の歴史において、過去のどこかの時点の誰かの腸内からこの遺伝子が入り込み有用に作用し、最終的には日本人の集団に広がった。彼らは海藻をたくさん食習慣から、さらに多くの栄養を得るようになったのだろうと考えられる。「このように民族的な違いを示した研究はこれまでにないのではないか」と、Emory大学の免疫学者Andrew Gewirtz氏は語っている(注2)。この研究によっても、日本民族の根源は、アジア大陸を移動して日本列島に到達した民族ではなく、何万年もかけて海洋を移動し南方から海流に乗って北上する形で日本列島に到達した海洋民族であることが明らかとなった(注3)。

注2)「海洋細菌の中で、藻細胞壁の分解を行なう酵素を特定した」とフランスのStation Biologique de Roscoff(ロスコフ海洋生物研究所)の生物学者、Mirjam Czjzek氏は述べている。「この酵素が見つかる他の場所は1つしかない。それは日本人の腸に見られる細菌の中だ」科学雑誌『Nature』の2010年4月7日号に掲載されたこの発見は、Roscoff研究所の生物学者Jan-Hendrik Hehemann氏によるZobellia galactanivorans(ゾベリア・ガラクタニボランス:一般的な海洋細菌)の分析から始まったものだ。この研究の中でHehemann氏は、ポルフィランを分解する酵素を見つけた。ポルフィランとは、紅藻類の細胞壁で見つかった炭水化物である。
注3)科学雑誌『Nature』2010年4月7日号

鳥取県出土の古代人骨

鳥取県出土の古代人骨・青谷上寺地遺跡(あおやかみじちいせき)から大量に出土した古代人骨は、骨格の測定から弥生人骨と考えられていたが、Y染色体を解析した結果、75%の人骨は、ハプログループD1a2(D-M64.1)を持つ男系は縄文人に属する人々であることが明らかとなった(注1)。
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注1)産経新聞『鳥取の出土人骨をDNA解析』(2019.4.5)

瓊瓊杵尊

瓊瓊杵尊(ニニギノミコト, Ninigi-no-mikoto, The Yamato people)のY染色体は、ハプログループD1a2(D-M64.1)であると推測される(注1)(注2)(注3)。これは瓊瓊杵尊の子孫による遺伝子データに基づくものであり、瓊瓊杵尊の御陵である可愛の山陵(宮内庁所管)の学術調査が出来ないため確定的な結果ではない(注4)。また、考古学的には日本最大規模の帆立貝形古墳である男狭穂塚の被葬者が瓊瓊杵尊である可能性が高いという理由から、現在は国指定の特別史跡として宮内庁によって管理されている。ハプログループD1から分岐したハプログループD1a2は、アンダマン諸島、フィリピンを経て、約3万5,000年前に日本列島に到達した系統である(注5)(注6)(注7)(注8)(注9)(注10)(注11)。天孫降臨の場所とされる高千穂の「久士布流多気(クシフルタケ)」とはアイヌ語で「川などの向こうの岡」という意味である。
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   (瓊瓊杵尊の可愛山陵・宮内庁所管)

分子生物学(Molecular biology)、人類遺伝学(Human genetics)の分野において、Y染色体の系統を遡った場合に人類共通の父系祖先とみなせる概念上の男性を「most recent common ancestor」もしくは「Y染色体アダム」と呼ぶのになぞらえて、日本固有のハプログループD1a2を特徴づける一塩基多型(SNP)のうち「D-M64.1」の変異が約2万2,900年前に最初に起きた男性(MRCA)のことを、ここでは概念的に「瓊瓊杵尊のY染色体」と呼ぶこととする。この場合、瓊瓊杵尊と神武天皇の生物学的年代は、約2万900年(約842世代)近く離れた父系関係を有する親族系統と定義される(注12)(注13)。また近年「GWAS(ゲノムワイド関連解析)」の解析で新たな事実が指摘されている。 GWASとは、ヒトゲノム中に存在する50-100万種のSNP(一塩基多型)を位置マーカーとして用い、ゲノム配列の差と、変異の起きた関連性を時系列的に調査することによって、歴史上の人物に関するSNPを特定する解析法で、これらの研究によれば、約3万5,000年間にわたって日本列島に住む人々の父系のDNAに大きな変化はなく、他民族からの征服による遺伝的な影響を受けていない世界唯一の民族であるということが明らかとなっている(注14)(注15)(注16)。

注1)The Japanese monarchy (Imperial House of Japan) is the oldest continuous hereditary monarchy in the world still in existence. It has "reigned since time immemorial." Imperial family's genealogical tree sparked the interests not only by Shinto priests, but by anthropologists/geneticists. In this article, we aim at demystifying the lineages of Japanese imperial family for encouraging the further researches in this field. "Genetic Evidence"Most scientists agree on the use of SNP on non-recombining portion of Y-chromosome, known as Y haplogroup. Majority of Japanese males had genetic markers specific to Japanese islands as well as Okinawan. "Birth rates of ruling family"Ruling family and group often dominates in social ranks, and more controversially, in reproductions. Using Y-chromosome data, Genghis Khan's offsprings may have been 16 million people, suggesting that the group of larger disributions could be much likely to be the rulers genetic make-ups. Japan is the oldest continuous hereditary monarchy in the world, and unlike briefly ending rulership of Genghis Khan's heirs, Japanese imperial family and their associates dominated Japan for more one thousand years. Thus, rough estimations of how likely imperial family belonging to each Y-haplogroups may hold equality relation with the frequencies - distributions of Y haplogroup. To this extent, it is natural to expect that there would be more than 60% probability of Japanese emperor descending from the Jomon - Ainu people of Japan.
注2)ISOGG 2019(ver14.177)による表記。原文による表記では「D2(D-M64.1)」である。
注4)"DNA of Niniginomikoto"(Ysearch)
注7)『日本人の遺伝子は特殊タイプ』(2007.10.7)に「日本の本州に住む男性の43%がYAP+を保有するハプログループDに属し、アイヌ人男性の98%もYAP+を保有するハプログループD1に属している。一方、隣国の韓国人はハプログループD1系統は1%(未満)しか存在しない。世界的にもチベット人や中近東の人だけがこのYAP+因子をもっているが、このハプログループD1系統は、他の世界のどこにもほとんど存在しない。さらに日本のすぐ近くの朝鮮半島や中国人が南方系ハプログループO2やO1であり、古代系統のハプログループD1a2に属する日本人と一線を隔している」とあり。
注8)『日本人の遺伝子は特殊タイプ』(2007.10.7)に「Y染色体とミトコンドリアDNA、どちらを優先するか? 韓国人が自国と日本人遺伝子を語るとき、決してY染色体にはふれずミトコンドリアDNAだけで語る。しかしそのミトコンドリアDNAではアジアでみられる起源はすべて2万年以上前のため、それより以降の新モンゴロイドの発生移動と増加には全く役に立たない。つまり東アジアではどの国も多少の差はあれどほとんど同じ構成になってしまうのである。そもそも人類のDNA分析する場合、系統分類に適さないミトコンドリアDNAは使用せず、系統分類し易い父系のY染色体の分類法を使用する。日本人のY染色体の特殊性は、先で説明したとおり、韓国人との差は一目瞭然。日本には古く中東やチベットまでたどれるD系統の遺伝子が大半を占めているが、韓国人にはD系統が皆無(1%未満)である。結論として系統分類に適したY染色体を意図的に無視し、系統分類に適さないミトコンドリアDNAの割合だけを使用すると、間違った結論に導かれる可能性があり注意が必要という事である」とあり。
注9)『日本人の遺伝子は特殊タイプ』(2007.10.7)に「皇室・日本の支配者層はハプログループD1a2系統。日本人男性の多くがY染色体ハプログループD1系統である。また、日本の君主である皇統もこのハプログループD1a2の系統に属している可能性が高いと言われている(もちろん現状ではO1a系統であるとする主張もある)。天皇は少なくとも5世紀から1500年以上を経て現在まで連綿と君臨しており多くの皇子が臣籍降下している。かのチンギス・ハーンは数世代のみであったが、同じY染色体を持っている父系子孫は1600万人は存在する事が判明している。つまり1500年以上前から何世代にも渡って膨大な数の皇子を臣籍降下した史実に鑑みれば、皇胤は、日本人男性の大部分を占めていると思われる。日本人は父系のY染色体にこのような特殊系を表しているということは、D1a2系統の遺伝子を持つ縄文系の男性が有力者として支配層に就いていた事を示す可能性が高い。少なくとも逆のパターンはありえない事になる」とあり。
注10)『日本人の遺伝子は特殊タイプ』(2007.10.7)に「縄文人の特徴を色濃く残している天皇、皇族。日本の皇族の直系は(中略)比較的彫の深い濃い顔が多かった。江戸時代に日本に訪れ天皇に謁見したスコットランド人のニコラス・ノーマン・マクレオド(Nicholas Norman McLeod, 1868-1889)は、「日本の皇族は中東系である」という発言を残した。現在でも昭和天皇・皇后の血を継いでいない傍系の皇族方は、二重瞼の彫の深いお顔立ちの方々が多い。また神話時代の天皇の容姿は豊かな髭を持ち彫が深い縄文系として描かれている事が多く、正史によれば、天皇家の発祥は南九州の日向であり、後から関西にやってきたとされている。南九州は縄文系の血が濃い場所で、(中略)皇室は元々は隼人と同じ祖を持つ縄文系である」とあり。
注13)『日本書紀(神武天皇即位前紀)』によれば、瓊瓊杵尊の天孫降臨より神武天皇の東征出発までの期間を「自天祖降跡以逮于今一百七十九万二千四百七十餘歳」とあり、公式には179万2,470余年とされているが、分子時計による算出では、約3万3,000年程度となり、実際には『日本書紀』の記す期間より短かった可能性が指摘されている。
注15)長浜浩明『日本人のルーツの謎を解く』展転社
注16)片山宏二『弥生時代渡来人と土器・青銅器』
注18)『日本神話の後継者』(2017.5.17)
注22)『全人類系図』(2017.4.4) Most of Japanese males share their paternal lineages with the Imperial Family. Poznik et al. (2016) have reported that the males in the JPT (Japanese in Tokyo, Japan) sample of the 1000 Genomes Project are :皇別D1a2-M55(36%)20/56, 神別O1a2-P49(32%)18/56, 諸蕃O2-M122(18%)10/56, 地祇C1a1-M8(7.1%)4/56, 諸系O1a1-M119(3.6%)2/56, 諸系C2-M217(3.6%)2/56
注24)『日本人のルーツを考える』(2016.6.1)
注25)齋藤成也『遺伝子から見た日本列島人のルーツ』(2009.4.28)

加來道雄

理論物理学者・加來道雄(Michio Kaku, 1947-   )のY染色体は、ハプログループD1a2(D-M64.1)である(注1)。加來道雄は、日系アメリカ人(3世)の家柄。
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細川茂樹

俳優・細川茂樹(Shigeki Hosokawa, 1971-   )のY染色体は、ハプログループD1a2(D-M64.1)である(注1)。細川茂樹は、岐阜県大垣市の出身。※2009年当時の分析精度によるデータのため、下位系統は不明。
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須藤元気

元格闘家で作家、タレント・須藤元気(Genki Sudo, 1978-   )のY染色体は、ハプログループD1a2(D-M64.1)である(注1)。須藤元気は、東京都江東区の出身。※2009年当時の分析精度によるデータのため、下位系統は不明。
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DYS 393 390 19 391 385a 385b 426 388 439 389i 392 389ii
Alleles 13 24 15 10 13 15 12 12 12 13 11 30


注1)"Gen Sudo's y-dna"(Ysearch)

畠田秀生

聖書と日本フォーラム代表・畠田秀生牧師(Hideo Hatakeda, 1940-  )のY染色体は、ハプログループD1a2(D-M64.1)である(注1)(注2)。※簡易検査によるデータのため、下位系統は不明。
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      (畠田秀生)

畠田秀生は、同志社大学西洋史専攻を卒業。1963年ニュージーランドへ貨物船で無銭旅行企てる。そこでキリストを信じて翌年、本田弘慈牧師の本田クルセード、塩屋の関西聖書神学校聴講生を経て、1965年大阪中ノ島公会堂にて開拓伝道を開始。30年間の牧師生活を経て独立し、古代日本と古代イスラエルの関連から現在の日本のキリスト教宣教に新風を吹き込む活動「聖書と日本フォーラム」副会長・事務局長を務める。2009年現在、同会代表。伊勢志摩登茂山の同研修センター所長を務める。

注1)久保有政『日本とユダヤ 聖徳太子の謎』(2014)
注2)池袋キリスト教会初代牧師・久保有政(Arimasa Kubo, 1955-  )によれば「ちなみに筆者(久保有政)の友人の畠田秀生氏(中略)のY染色体を検査してみたところ、やはりD1a2系統(D-M64.1)であった」とある。

阿部寛

日本の俳優、モデル・阿部寛(Hiroshi Abe, 1964-   )のY染色体は、ハプログループD1a2(D-M64.1)であると推定されている(注1)(注2)。正確を期すため本人による遺伝子検査が期待されている。
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      (阿部寛)

注1)Haplogroup DNA"Abe Hiroshi/Japanese tester, D2-M64.1"(2016.3.12)
注2)ISOGG 2017(ver12.31)による表記。原文による旧表記では「D2(D-M64.1)」である。

堀江貴文

実業家・堀江貴文(Takafumi Horie, 1972-   )のY染色体は、ハプログループD1a2(D-M64.1)である(注1)。堀江貴文の父祖は、福岡県久留米市の出身。※2009年当時の分析精度によるデータのため、下位系統は不明。
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      (堀江貴文)

【新田義貞の嫡流・堀江貞政】
堀江貴文との関係は明瞭ではないが、新田義貞の嫡流は、応永年間に義宗の子・貞方が捕縛され、長子の貞邦と共に鎌倉で処刑され断絶した。ただし、貞方の庶子・貞政は堀江氏と称し、この子孫は 後北条氏に仕えている。

注1)堀江貴文『六本木で働いていた元社長のアメブロ』(2009.1.16)

又吉直樹

小説家・又吉直樹(Naoki Matayoshi, 1980-   )のY染色体は、ハプログループD1a2(D-M64.1)である(注1)。※簡易検査によるデータのため、下位系統は不明。
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この結果により、又吉直樹の父方の曾祖父・又吉寶蔵(Hozo Matayoshi)、祖父・又吉寶善(Hozen Matayoshi, 1907-1981)、大伯父・又吉寶傳(Hoden Matayoshi)、父・又吉己敏(1954-   )のY染色体も、ハプログループD1a2(D-M64.1)であることが明らかとなった(注2)。又吉直樹の父祖は沖縄県名護市汀間区の出身。又吉姓のルーツは柳氏 摩文仁掟親雲上康長で、16世紀から18世紀頃に沖縄県浦添市城間にあった地名による。柳康長の父系を遡ると、柳康長ー阿守良ー阿守庸ー阿守知ー阿守忠ー(南山王)汪応祖ー(大里王統)汪英紫ー大里按司となる。又吉直樹のミトコンドリアDNAはこちらを参照。

注1)日本放送協会『又吉直樹のヘウレーカ! 僕はどこからきたのですか』(2018年10月31日放送)

竹村健一・竹村真一

政治評論家・竹村健一(Kenichi Takemura, 1930-   )のY染色体は、ハプログループD1a2(D-M64.1)である(注1)。※2009年当時の分析精度によるデータのため、下位系統は不明。
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       (竹村健一)             (竹村真一)
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2009年8月5日東京・お台場の日本科学未来館で開催された「私たちはどこから来たのか?」というイベント(日経BP社・ナショナル・ジオグラフィック主催)で、スペンサー・ウェルズ博士によって竹村健一の長男で、文化人類学者・竹村真一(Shin-ichi Takemura, 京都造形芸術大学教授)のY染色体ハプログループは縄文系のD1a2系統であるという解析結果が公表された(注2)。これに伴って、父・竹村健一のハプログループもD1a2系統であることが明らかとなった。竹村健一の父祖は、兵庫県朝来市生野町黒川の出身(注3)。

注1)千葉千枝子『私たちはどこから来たのか?』(2009.8.5)
注3)『人生のレールは一本ではない -悔いのない生き方をしよう-』三浦雄一郎・竹村健一 共著、2007年、太陽企画出版、27頁より「(竹村健一の)父は、兵庫県の生野という町からずいぶん奥に入った黒川村という寒村の生まれです。長男だったけど、戸数が10軒ほどしかない村の暮らしに飽きたらず、次男に家督を譲り、自分から勘当されるようにして大阪に出てきた」

吉原建

デザイナー、ソフトウェアエンジニア・吉原建(Takeru Yoshihara, 1980-  )のY染色体は、ハプログループD1a2*(D-M64.1*)である(注1)。吉原建は、福岡県北九州市の出身。※簡易検査によるデータのため、下位系統は不明。


コロボックル

アイヌ以前に北海道に先住していた、背の低い人・コロボックル人(Korpokkur)のY染色体は、ハプログループD1a2*(D-M64.1*)であると推定される(注1)。正確を期すためにより多くの子孫たちによる遺伝子調査の参加が期待されている。

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伝承によれば、コロボックル人は、文身(刺青)の習慣があり、小柄な人々で、北海道で見られる縄文遺跡は彼らの遺跡であったとされる。中国の史書で見られる「倭人」という言葉はもと「矮人(小さい人)」を意味し、文身の習慣があったとされる。
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(オーストロネシアのネグリト男性)
ドイツの生物学者クリスティアン・ベルクマン(Christian Bergmann)が発見した、ベルクマンの法則(Bergmann's rule)によれば赤道直下に住む生物ほど体長が小さくなり、北極・南極近くに住む生物ほど体長が大きくなることが知られており、コロボックル人も もとは南方系であったと考えられる。
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(オーストロネシアのネグリト男性)
また文身の習俗は、もと南方系の海洋民族が海に潜る際に、鮫の害を避ける為に行った習俗でありこれらを裏付ける査証とされる。さらに、日本人の縄文系の大部分を占めるD1a2系統と同じD系統を持つ民族の中にアンダマン諸島のジャラワ族オンゲ族が知られており、彼らも小柄な人々でネグリトと呼ばれる人種に分類される(注2)。

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『日本書紀』によれば、これら小柄な人のことを少彦名命(Sukunahikona)と呼び、大己貴命(Ohnamuchi)と共に国作りを行った初期の人々とされ、現在は北海道神宮(Hokkaido Shrine)などに、開拓の神として奉られている(注3)。

注1)アイヌ人の伝承によれば、アイヌ人が樺太、千島、北海道へ住み始める以前は、これらの土地に「コロボックル」という民族が住んでいたと言われている。彼らは小柄(なお「蕗の葉の下にいる」という伝承のイメージから手のひら大の小人として描かれることがあるが、元々は、アイヌより身長が低い人という伝承である)で身動きがすばやく、文身の習慣があり、漁に巧みであった。また屋根をフキの葉で葺いた竪穴にすんでいたと言われる。彼らはアイヌに友好的で、鹿や魚などの獲物をアイヌの人々に贈ったり、アイヌの人々と物品の交換をしたりしていたが、ある時、アイヌの若者がコロボックルに対して無礼な行いがあり、ある美しいコロボックルの女性の手をつかんで無理やり屋内に引き入れて事におよぼうとした。コロボックルたちは青年の無礼に激怒し、一族を挙げて海の彼方へ去ってしまい以後、アイヌの人々はコロボックルの姿を見ることはなくなったという。十勝地方に残る伝説では、コロボックルはアイヌに迫害されたために土地を去ったといわれ、「十勝(とかち)」の地名の由来は、コロボックルが去り際にアイヌを呪った言葉とされる。現在でも北海道のあちこちに残る竪穴や地面を掘ると出てくる石器や土器は、彼らコロボックルがかつてこの土地にいた名残であると言われる。これらの伝承が、史実を反映したものと捉えるならば、「1.アイヌは先住民族ではない。2.北海道の先住民族はコロボックルと呼ばれる小柄な民族である。3.コロボックルには南方由来の習俗である文身(刺青)をしていた。4.コロボックルとアイヌが係争した後、海を渡っていなくなった。5.現在、北海道にある縄文遺跡は、アイヌ人のものではなくコロボックル(小柄な縄文人)たちのものである」と云え、北海道の縄文遺跡から得られた人骨をDNA解析した結果などからもこれらの仮説が裏付けられている。コロボックルが滅亡した理由は、伝承どおり北海道を去り、東北地方(青森・秋田・岩手方面)へ移住したと考えられる以外に、実際にはアイヌ人と混血した結果、併合されて淘汰された結果とも考えられる。なお平成18年の第169回国会で可決された「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議案」は、「アイヌの人々を日本列島北部周辺、とりわけ北海道における先住民である」とした決議であるが、過去日本列島において縄文式土器を使っていた人々の子孫がアイヌ人であるという説を支持する為の決議ではない。にも関わらず、この決議によって、アイヌ系の住民が日本列島全体の先住民族であるかのような誤解を多方面に与えてしまった。これらの事実から、政治的にはどうあれ、学術的にはアイヌ系の住民が「北海道の先住民族」であると呼べるかどうかに関しても未決着の問題である。

コロボックル系南方アイヌ人

アイヌ人のY染色体は、日本列島を北上し北海道に到達した縄文(コロボックル)系のハプログループD1a2*(D-M64.1*)が88%(D1a2b*が13/16=81.25%、D1a1a1が1/6=6.25%)を占め、残りの12.5%がシベリアから樺太を経由して南下してきたニヴフ(ギリヤーク)系アイヌ人である(注1)(注2)。正確を期すためにより多くの子孫たちによる遺伝子調査の参加が期待されている。
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   (アイヌ人の男性)        (アイヌ人の女性)

政治的には「アイヌは北海道の先住民」と看做されることがあるが、学術的にはアイヌは先住民族には該当しない。これは、アイヌ人自身の伝承においても「元来、コロボックル人(Koro-pok-guru)が居住していた」とかつては堂々と証言されていたことでも明らかであったが、コロボックル系南方アイヌ人の多さから今後論争となるだろう。学術的には、1886年に渡瀬庄三郎が『人類学会報告』創刊号において札幌周辺に見られる竪穴住居の跡がコロボックル人(縄文人)によって作られたものであり、アイヌ人の侵攻(The Ainu Conquest of Yezo/Hokkaido)前にコロボックル人(Koro-pok-guru)が、かの地に居住していた証拠であるという発表を行ったのを嚆矢とする。これを受けて坪井正五郎は『人類学会報告』第9号にて大筋賛成という意見表明を行っている。コロボックル人(南方系縄文人)は、アイヌ人(北方民族)より背が低く文身の風習のあった民族で、これは現在ではアイヌ人が、アムール江畔から樺太を通り南下する以前に居住していた倭人(コロボックル/南方系縄文人)であり、アイヌ人の侵攻以降、次第に両民族が同化していったものと考えられている。天孫降臨の場所とされる高千穂の「久士布流多気(クシフルタケ)」とはアイヌ語で「川などの向こうの岡」という意味である。

アイヌ人男性(1)
DYS 393 390 19 391 385a 385b 426 388 439 389i 392 389ii
Alleles 13 23 15 10 11 16 11 12 13 14 11 29

アイヌ人男性(2)
DYS 393 390 19 391 385a 385b 426 388 439 389i 392 389ii
Alleles 13 23 15 10 11 19 11 12 12 15 11 31

近年、分子生物学による遺伝子解析においても、礼文島の縄文人骨から、本土と同じD1a2b1(D-CTS220)系統が検出されるなど、日本本土と同系の倭人である縄文人が居住した後に、アイヌ人が居住したことが裏付けられており、両民族が同化してアイヌ文化を成熟させたのは室町時代以降であるため、現在ではアイヌ人が先住民族(一番最初の居住民)とは一概には言えないことが明らかとなっている(注3)(注4)。しかしながら、両民族が同化した結果、現在のアイヌ人が形成されたという理論から「コロボックル系を祖先に持つ現アイヌ人が存在するがゆえにアイヌ人が先住民族である(コロボックル内包説)」という捉え方をする学説、あるいは「コロボックルはもはや存在しないがゆえにアイヌ人が先住民族である(繰り上がり先住民族説)」とする学説も存在する。これらの説においては、理論の破綻を避けるため「コロボックルは倭人である」という前提条件を意図的に認めない上で主張されることが殆どであり、問題がある。

注1)田島等 "Genetic Origins of the Ainu inferred from combined DNA analyses of maternal and paternal lineages" (2004)
注3)分子生物学的には、アイヌには、渡来系アイヌ(C2系統)と縄文系アイヌ(D1b系統)の二種が確認されており、縄文系アイヌは皇室と同じ先祖から枝別れした民族であることが明らかとなっている。
注4)Tomのスペース『Y染色体D1bは日本人特有のものか』(2012)

ブロガー・じゃんす

ブロガー・じゃんすのY染色体は、ハプログループD1a2(D-M64.1)である(注1)。じゃんすの祖父は、19歳で陸軍に入り、近衛歩兵第1連隊に配属。天皇皇后両陛下、成子、厚子両内親王殿下が那須御用邸にいらした際に儀仗兵としての任務についた家柄。
jansu_dna.jpg


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  • 最終更新:2019-10-11 17:03:22

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