Y染色体N系統

分子時計の推算によれば、ハプログループNOから、ハプログループNへは、約2万2,000年前に分岐した系統である。
n1_map1.jpg
N1系統の分布図


Y染色体ハプログループN系統 【北アジア系】

李淵

唐朝の高祖・李淵(Emperor Gaozu of Tang, 566-635)のY染色体は、ハプログループN(N-M231)である(注1)。
gaozu_of_tang.jpg
picture from Wikipedia
さらに、李淵のSTRの配列に関しては、安徽省出身の商人・胡雪巌とされている数値とほぼ一致していることも明らかとなった。唐朝を開いた李氏と、胡氏は父系で何らかの関連があったと考えられている(注2)(注3)。

注2)胡維平先生指出「2004年11月12日,胡亞光長女就胡雪巖家世和籍貫等致信他本人,她説:“老祖宗(胡雪巖)是安徽人,我們是杭州人,但祖籍是安徽”。此外,早在1991年10月22日,在給胡慶余堂老藥師趙玉城的信中,還稱胡雪巖與胡適是同宗。如果這段陳述属實,那麽,安徽績溪胡姓又有何源流呢?這箇還要援引胡適在口述自傳中説的一段話:蔡元培先生“曾誤把我家説成是世居績溪城内胡氏同宗,……但是這箇世居績溪城内的胡家與我家并非同宗”,胡適事實上出自“明經胡”,那麽,何謂明經胡呢? “明經胡”的始祖是大唐昭宗皇帝和何皇后之子。唐朝末年,黄巢起義軍的叛将朱温降唐后,唐僖宗賜其名爲“朱全忠”,給予重用。朱温権傾朝野,對唐室社稷垂涎已久。唐昭宗天祐元年(公元904年)朱温爲了取代唐室,挾持唐昭宗,起駕遷都洛陽。一路上,唐昭宗憂心如焚,預感到大禍即将臨頭。因爲東都洛陽的宮殿尚未建成,于是滞留于陜州。三月朔日,何皇后臨産,皇幼子呱呱落地,這就是后来的“明經胡”始祖李昌翼。当時昭宗皇帝的心腹宮廷近侍郎婺源人胡三跟随御駕東遷,昭宗臨危托孤,将皇幼子托付給胡三。胡三不顧個人的安危,将皇幼子帶回婺源考川。因胡三姓胡,改姓爲胡,以掩人耳目,保全性命。昌翼學識廣博,且活到了96歳,被人尊称爲“明經公”,其家族遂有“明經胡”之称。這様,如果属于明經胡家族的胡雪巖確實是李唐王族的后裔,那麽他的基因測試結果還将成爲解析争議頗多的李唐皇族源流的一把鑰匙。李唐源流主要有兩種看法,正史認爲李唐源自隴西李氏,甚至可以追溯到老子,而另有史料作證李唐父系是鮮卑大野氏漢化改爲漢姓李氏」
注3)『明經胡氏宗譜(始祖傳條)』には「大唐第22代皇帝・昭宗は、唐朝末期に産れた幼皇子(李昌翼)を宮廷の危険から遠ざける為に、近侍していた股肱の臣・胡三に預けた。胡三は皇子を御駕に載せて東へ遷り、己の身の危険を顧みず養育したが、唐朝は朱全忠の圧力に抗し難く昭宗は廃位されて殺害された。皇子らも、翌年、洛陽苑の宴で謀殺され、ついに天祐4年(907)、哀帝(李昌翼の実兄)は、朱全忠に帝位を禅譲し唐は滅亡。これを受けて朱全忠は「後梁」を開いた。その後、李昌翼は、養父の姓を享けて胡氏を名乗った。これが明経胡氏の始祖である」とあり、従来は一家伝に過ぎないと看做されてきたが、DNA解析の結果、何らかの事実が反映されているのではないかと指摘されている。史実としては、天祐2年2月9日(905年3月17日)、洛陽苑内で行われた偽りの宴会の最中に、朱全忠らによって哀帝の兄弟皇子(男子)17人のうち9人が謀殺され、7人の皇子らが身を隠し行方不明となっている。


胡雪巌

紅頂商人・胡雪巌(1823-1885)のY染色体は、ハプログループN(N-M231)である(注1)。胡雪巌は、安徽省の績渓の出身で、清朝の末期に杭州で起業し官商として巨万の富を得た。
kosetsugan.jpg
picture from Wikipedia

注2)「2009年,杭州文物考古所對龍井村陳大頭山的一座荒墳作了正規考古挖掘工作,最終確認,該墓的主人爲胡雪巖的祖父母胡國樑夫婦墓。将墓中遺骨和胡雪巖傍系后裔(胡亞光先生的侄子)DNA作了比對后,結果表明“Y-STR 所有基因座均擴增成功,與胡氏后代様本比對,結果完全一致”,这便是説法醫利用類似親子鑑定的方法證實古墓男性主人確爲胡姓家族祖先,進而支持胡雪巖祖籍確爲浙江杭州。但這様的證據仍不能排除其祖父來自安徽績溪的可能性。胡雪巖家族與績溪胡姓的關系仍需進行DNA比對分析判斷,只是目前未有見后續的研究報告公開發表」

Y染色体ハプログループN1系統

分子時計の推算によれば、ハプログループN(N-M231)から、ハプログループN1(N-L735)へは、約1万8,000年前に分岐した系統である。

Y染色体ハプログループN1a系統

分子時計の推算によれば、ハプログループN1(N-CTS3750/M2183/V2831, L735)から、ハプログループN1a(N-F1206/M2013/S11466)へは、約1万5,000年前に分岐した系統である。

Y染色体ハプログループN1a1系統

分子時計の推算によれば、ハプログループN1a(N-F1206/M2013/S11466)から、ハプログループN1a1(N-M46/Page70/Tat, L395/M2080)へは、約1万2,000年前に分岐した系統である。

Y染色体ハプログループN1a1a系統

分子時計の推算によれば、ハプログループN1a1(N-M46/Page70/Tat, L395/M2080)から、ハプログループN1a1a(N-M178)へは、約9,000年前に分岐した系統である。

Y染色体ハプログループN1a1a1系統

分子時計の推算によれば、ハプログループN1a1a(N-M178)から、ハプログループN1a1a1(N-CTS6128/M2048)へは、約6,000年前に分岐した系統である。

Y染色体ハプログループN1a1a1a系統

分子時計の推算によれば、ハプログループN1a1a1(N-CTS6128/M2048)から、ハプログループN1a1a1a(N-L708/Z1951)へは、約3,000年前に分岐した系統である。

Y染色体ハプログループN1a1a1a1系統

分子時計の推算によれば、ハプログループN1a1a1a(N-L708/Z1951)から、ハプログループN1a1a1a1(N-P298)へは、約1,500年前に分岐した系統である。

リューリク1世

862年にラドガ(現在のロシア連邦・スタラヤ・ラドガの辺り)を支配し、ノヴゴロドを建設したとされるルーシの最初の首長・リューリク1世(830年頃-879年頃)のY染色体は、ハプログループN1a1a1a1(N-P298)(注1)である(注2)(注3)。リューリクの後裔は、キエフ公国から拡大し、16世紀のロシア・ツァーリ国(のちのロシア帝国)を建国して、皇帝として君臨した(注4)(注5)。
riurik1.jpg
picture from Wikipedia

注1)ISOGG 2017(ver.12.1)による表記。原文のISOGG 2010による表記では「N1c1(N-P298)」である。
注5)"Structure of the Y-haplogroup N1c1 updated to 67 markers", Jaakko Häkkinen. January 17, 2012. University of Helsinki.

ゲディミナス

中世リトアニア大公国の実質的な創始者で君主であるゲディミナス(1275-1341)のY染色体は、ハプログループN1a1a1a1(N-P298, subclade-BY21908)である(注1)(注2)(注3)。
gediminas.jpg
picture from Wikipedia

注1)ISOGG 2017(ver.12.1)による表記。原文のISOGG 2010による表記では「N1c1(N-P298)」である。
注3)FTDNA"Y-dna of GEDIMINID ROYAL"(Kit Number:353043, GEDIMINID ROYAL)

アレクセイ・クロパトキン

帝政ロシアの軍人・陸軍大臣のアレクセイ・クロパトキンのY染色体は、ハプログループN1a1a1a1a1a1a(N-L550)である(注1)(注2)。
kuropatokin.jpg
picture from Wikipedia

注2)ISOGG 2017(ver.12.1)による表記。原文のISOGG 2015による表記では「N1c1a1a1a(N-L550)」である。

アンドレイ・グリゴーリエヴィチ公、およびガガーリン公

ペテルブルク工科大学の初代学長で学者・アンドレイ・グリゴーリエヴィチ公(Гагарин, Андрей Григорьевич, 1855-1921)、およびロシア帝国の貴族・ガガーリン公(Гагарины)のY染色体は、ハプログループN1a1a1a1a1a1a(N-L550)である(注1)(注2)(注3)。
grigoryevich.jpg
picture from Wikipedia
スタロドゥーブ最後の分領公アンドレイ・フョードロヴィチの曾孫、ミハイール・イヴァーノヴィチ公を始祖とするミハイール・イヴァーノヴィチ公は 通称「ガガーラ Гагара」と呼ばれ、これが家名となった。ユーリエヴィチでは、詩人でもあったパーヴェル・セルゲーエヴィチ公(1747-1789)、閣僚会議議長を務めたその子パーヴェル・パーヴロヴィチ公(1789-1872)、皇帝パーヴェルの愛人アンナ・ロプヒナーと結婚したパーヴェル・ガヴリーロヴィチ公(1777-1850)、外交官であり詩人・翻訳家としても名声を馳せたグリゴーリイ・イヴァーノヴィチ公(1782-1837)、パリでカトリックに改宗してイエズス会士となった変わり種のイヴァン・セルゲーエヴィチ公(1814-1882)、ペテルブルク工科大学の初代学長となった学者のアンドレイ・グリゴーリエヴィチ公(Гагарин, Андрей Григорьевич, 1855-1921)などが著名。なお宇宙飛行士のユーリィ・ガガーリンとは家系的には無関係である(注4)。

注3)ISOGG 2017(ver.12.1)による表記。原文のISOGG 2015による表記では「N1c1a1a1a(N-L550)」である。

Y染色体ハプログループN1a2系統

分子時計の推算によれば、ハプログループN1a(N-F1206/M2013/S11466)から、ハプログループN1a2(N-L666)へは、約1万2,000年前に分岐した系統である。

Y染色体ハプログループN1a2a系統

分子時計の推算によれば、ハプログループN1a2(N-L666)から、ハプログループN1a2a(N-M128)へは、約9,000年前に分岐した系統である。

Y染色体ハプログループN1a2a1系統

分子時計の推算によれば、ハプログループN1a2a(N-M128)から、ハプログループN1a2a1(N-CTS2959, F710)へは、約6,000年前に分岐した系統である。

クマカブト・アラカシヒコ命

クマカブト・アラカシヒコ命のY染色体は、ハプログループN1a2a1(N-F710)である(注1)(注2)(注3)。これは、毎年行われるクマカブト・アラカシヒコ祭の際に、彼の子孫から同意を得て採取されたサンプルに基づくものである。
kumakabuto.jpg

注3)ISOGG 2017(ver.12.1)の表記による。原文はISOGG 2016による表記「N1c2a(N-F1360, subclade-F710)」である。

Y染色体ハプログループN1b1a2b1a系統

李稟

扶餘李氏(부여이씨)の始祖と言われる李稟(이품)のY染色体は、ハプログループN1b1a2b1a(N-L732)である(注1)。これは、彼の子孫から得られたデータに基づく。李稟は高麗靖宗の王妃・容穆王侯の父で月城府院君に封ぜらた。子孫は扶餘に世居したので、それを本貫とした。2000年の調査では一族506人。
buyeo_lee4.jpgbuyeo_lee1.jpgbuyeo_lee2.jpg

buyeo_lee3.jpg
注2)ISOGG 2017(ver.12.1)による表記。原文のISOGG 2014による表記では「N1b(N-L727, subclade-L732)」である。

スタンレイ・ドロツドスキー

ポーランドのスタンレイ・ドロツドスキー(Stanley Drozdowski)のY染色体は、ハプログループN1b1a2b1a(N-L732, subclade-Y15966)である(注1)。これは、彼の子孫から得られたデータに基づく。

注1)FTDNA"The Baltic Sea DNA Project"(Kit:N25315, Drost)


modoru.jpg susumu.jpg

  • 最終更新:2017-12-12 10:08:23

このWIKIを編集するにはパスワード入力が必要です

認証パスワード