Y染色体O2a2b系統
Y染色体ハプログループO2a2b1系統
潮汕曾氏
中国・潮汕曾氏のY染色体は、ハプログループO2a2b1*(O-M134*, M117-, subclade-CTS11525)である(注1)(注2)。潮汕曾氏の族譜によると、曾氏の始祖は、「孔子および左丘明の弟子の曾子(本名:曾參, BC505- )で、子孫は山東より江西へ移住し、更に福建から広東の潮汕へ移住した」と記載されている。
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DYS | 393 | 390 | 19 | 391 | 385a | 385b | 437 | 448 | 439 | 389i | 392 |
Alleles | 12 | 23 | 15 | 10 | 14 | 16 | 15 | 20 | 12 | 13 | 12 |
注1)『廣東省潮汕曾氏DNA検測結果-O2a2c1*』(2012.3.8)
注2)ISOGG Tree(ver.10.116)による表記。原文のISOGG 2014による旧表記では「O3a2c1*(O-M134*, subclade-CTS11525)」である。
王仁
応神天皇の時代、百済を経由して日本に渡来した・王仁(わに)博士のY染色体は、ハプログループO2a2b1(O-M134)であると推定される(注1)(注2)。韓国では応神天皇と同一人物として日本支配の根拠としている。王仁博士の子孫は、西琳寺跡がある河内国古市郡古市郷を本拠地とする西文氏(かわちのふひと)として栄えた。
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注1)松本克己『日本語の系統とその遺伝子的背景』(千葉大学, 2012.11.15)
注2)ISOGG Tree(ver.11.73)による表記に更新。原文の表記では「O3e-M134」である。
新漢人大圀
推古16年(608)に派遣された、第3回遣隋使の学生・新漢人大圀(いまきのあやひとおおくに)のY染色体は、ハプログループO2a2b1(O-M134)であると推定される(注1)(注2)。
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古来より日本は隋と対等な関係を結びたいという強い意思を持っており、その機を熟考していた。当時、隋はたびたび高句麗と合戦をしていたが、隋はそのたびに撃退されたため、日本が高句麗と同盟を結び、隋に敵対してくることを憂慮していた。聖徳太子は、この国際情勢を鑑み、小野妹子を遣隋使として派遣するにあたって、隋と対等な関係を結ぶ好機と捉えて国書を作成。遣隋使のもたらしたこの国書は、隋の煬帝にとっては屈辱的であったが、聖徳太子の緻密な計算どおり、隋はこの対等な関係を示した国書を受け取らざるを得なかった。小野妹子は隋の答礼使として裴世清(はいせいせい)を同行して、翌年帰国した。
注1)松本克己『日本語の系統とその遺伝子的背景』(千葉大学, 2012.11.15)
注2)ISOGG Tree(ver.11.73)による表記に更新。原文の表記では「O3e-M134」である。
世田谷一家殺害事件の容疑者
2000年に東京都世田谷区の一家4人が惨殺された事件の容疑者のY染色体は、ハプログループO2a2b1*(O-M134*)である(注1)(注2)。
このハプログループは、日本人では約33人に1人、中国人では約10人に1人、韓国人では比較的多く約5人に1人の割合に見られる(注3)。容疑者の遺留品の中には、韓国でしか販売されていない「スラセンジャー」というメーカーのスニーカー(27.5cm)や、韓国製のヒップバッグも含まれている。世田谷一家殺害事件の容疑者のミトコンドリアDNAはこちらを参照。
注1)ISOGG Tree 2017(ver.12.221)による表記。原文のISOGG 2002による旧表記では「O3e*(O-M134)」である。
注2)産経新聞『「世田谷一家殺害事件から丸9年」犯人は南欧系混血か DNA型鑑定 犯人像と矛盾せず』(多摩湖畔日誌, 2009年12月30日版)
注3)東京、群馬、千葉からサンプリングされた水野論文(2008)のデータでは、「O-M134*」は、33人に1人の割合。約3%である。
- 最終更新:2017-09-23 09:29:28